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あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年9月1日 (金) 旧暦閏7月9日先負

- 新学期ですね -

日記


『今朝の浅草』
 9月になると、急に涼しさが増してきました。これから雨になるとの予報なので、早めに散歩を済ませてしまおうと出かけたのですが、時々雨粒がカメラを濡らすのです、本格的に降り出す前に終えなくっちゃね。モモちゃんもそれを知ってか、いつものノロノロがちょっと早いノロノロ(笑)。平和地蔵尊も笑っているようでした。

 さて学校の二学期が始まりました。いつもの散歩道には、学校に通う子ども達が帰ってきました。みんな口々に楽しかった夏の思いでを喋りながら歩いています。そして、誰もがカバンの他に大きな紙袋を提げています。きっと、夏休みの宿題がいっぱい詰まっているのでしょうね・・・。

 1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、マグニチュード7.9の激震が関東一円を襲った。死者行方不明14万2800人 (東京10万7500人、神奈川3万3000人、他県2300人)。近代日本未曾有の大災害、関東大震災から83年目の「防災記念日」です。

 その当時を語った記録によると、

 「地震100年周期のことを学校で習ったばかりだった。先生は関東を襲った安政元年11月4日の大地震(1855)から65年経ったのでそろそろ警戒した方が良いと、安政の大地震を経験した老人を授業に呼んで話を聞き、災害に備える心構えを知ったばかりだった。しかし、実際に事が起こると、ただ、みんなの後に着いてうろうろするばかりで、自分では何もすることが出来なかった。」

 関西淡路大震災の時も、みなさんが口を揃えて“何も考えられなかった”、“ただ、みんなの後を着いて行くだけだった”、同じような経験談が報じられていました。そうなんです、経験した事のない事態をとっさに判断できる人って希な存在、地震の時はどのような対応を、と、充分承知していても実際に事が起こると右往左往してしまうのでしょう。それで、“みんなの後を着いて行く”、それが更なる被害をもたらすのです。
 
 そんなあほまろはいったいどんな態度をとるのでしょうね。過去、秘密基地で地震に遭った時には、いの一番にモモちゃんを抱いて部屋の真ん中で治まるのを待っていました。それがひどい揺れになったとしたら、きっと何も持たず、モモちゃんだけを抱いて非常階段を駆け下りるのでしょうね。そして、みんなが逃げる方向には行かないように注意することも肝心なのです。みんなが安全と思われる場所に押し寄せて圧死、災害が起こった場合は、安全な場所が最も危険な場所にも成り得るのです。余計なことは考えずに行動出来ると良いのですが・・・。

 写真は、関東大震災で崩壊した浅草仲見世です。この後、年末にかけて突貫工事の木造仮店舗で営業をし二年後には現在のコンクリート製の建物が建てられたのでした。瓦礫の仲見世を観音堂に向かう人達は、東京市が行う炊き出しを求める人なのです。
    
 当時、この辺の避難指定場所は上野公園でした。西郷像に貼られたたくさんの紙、これはみんな家族の消息を訪ねた紙なのです。近所の方々は、ここに消息を張りだして親兄弟と連絡をとりあっていた、当時の貴重な写真なのです。
   

 安政大地震から65年後の関東大震災。今年は関東大震災から数えて83年目、安政大地震から150年目、大地震100年周期が囁かれる今、いつ来てもおかしくない状況なのです。地震で持ち出せる荷物には限界があります。あほまろが、祖父の時代から数えて80年以上も費やして集めた貴重な収集品。現物が有ってこそ貴重な歴史証人となるのですが、せめて紙物だけでもデジタルデータとして将来に残したい。大地震であほまろが持ち出すのは、たぶんモモちゃんと、ハードディスク1台だけなのでしょうね。
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『今朝の雷門』
 関東大震災の時には、大勢の人が浅草寺本堂内に集まって助かったそうです。その経験から、東京大空襲の時にも浅草寺本堂内に駆け込む人が多かったのです。それを目掛けて大量の焼夷弾を落とすか、鬼○米が!
   
   
  
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『今朝の一写』
 今日から学校楽しいな。足もとがウキウキしているようですよ。今日の始業式後は、防災訓練がありますよ。それまで雨が降らなければ良いですが・・・。あら、今(午前9時半)、窓外を見ると激しいのが降ってきたみたいだよ・・・。
  
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『今朝の境内』
 浅草仲見世は、関東大震災の2年後、大正14年に現在の鉄筋コンクリート造りの商店街に生まれ変わって81年目になります。平成元年4月には東京芸術大学平山郁夫教授指導のもと、シャッターの「浅草絵巻」が完成。平成6年10月には「電柱撤去地中線化」が行われ、電線の無い街並みを完成させました。平成8年12月、浅草では初めて商店街に「防犯カメラ」を設置。昨年は、建物の塗替えも終わり見違えるほど奇麗になった仲見世商店街でしたが、今年から老骨化したシャッターの取り替え工事が行われ、シャッターから浅草の歳時記が消えていくのです。

 かつてはまだシャッターなんてハイカラな物が無かったころの仲見世、どこのお店も夜になると戸袋から戸板を出して閉めていましたね。そんな光景、つい30年ほど前でしたよね・・・。
   
 今にも雨が降り出しそうなお天気を表現したかったのですが、空が真っ白に写ってしまったので残念。
   
 遠くから携帯電話を操作しながら歩いて来た女性、良くあれで歩けるなぁ、と、見ていたのですけど、案の定階段の手間で足が引っかかって危ない目に遭ったその直後、三段目で足を踏み外しひっくり返ってしまいました。あわてて側に居たみんなが助けて助けてあげたのでしたが・・・、お礼も言わず再び携帯電話を操作しながら上がっていきましたよ。歩きながらのメール、そこまで急用だったのかな・・・。
   
 三地蔵さんの赤い帽子が新しくなり、白百合が供えられました。
   
 今日は巳の日。弁天さんの縁日なので、弁天堂がご開帳されております。
   
 浅草神社、いつになく多くの参拝者が訪れてくるというのも、関東大震災で亡くなった方の供養なのでしょうね。
   
 先日お伝えした浅草神社社務所新築の勧進を伝える看板が、鳥居横と本殿横に出されました。総工費3億円で、完成は平成23年になるそうです。僅か3億円で出来てしまんですね、それじゃあほまろがジャンボ買って全額寄進してあげましょう。なんちゃって。
   
 三億円とは関係の無い浅草の神田です。

   
 どんどん長くなってきましたね。これから実が入るに従って穂は垂れてくるのです。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。

『今朝の余談』
 おや、いつものママさんも携帯メールですか。注意しないとワンちゃんが危険ですよ。

   


今朝の写真
Panasonic DMC-L1 LEICA D VARIO-ELMARIT F2.8-3.5 14-50mm
OLYMPUS ZUIKO Digital 7-14mm F4 / 50-200mm F2.8-3.5

撮影枚数68枚

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