あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年5月31日 (水) 旧暦5月5日先負

写真館で三社祭公開中!
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 今日が本当の端午の節句 -

日記


『今朝の浅草』
 祝。とうとう昨日の朝に、カウンターが百万番を超えてしまいました。毎日何かを書き綴っていても、誰も見てくれなければ続ける気力も失われてしまいますけど、これほど大勢の方に読んで頂いているという、確かな手応えを感じながら、あほまろの生き甲斐にもなってしまいました。
これもひとえにみなさまのご声援のおかげと喜んでおります。カウンターの桁数をもう一桁増やすまでは頑張って続けたいと思っております。これからもよろしくお願い申しあげます。

 「浅草に芝居小屋を」の発表会が行われ、マスコミにも取り上げられたこともあって、この運動が徐々に具体性を帯びてきましたね。まだ江戸が生きている浅草で、あくまでも江戸時代の小屋にこだわって創作された完成予想図、街のあちこちで見かけるようになりました。
 今朝、いつものように六区ブロードウェイを歩いていると、地図を片手に何かを捜しているご夫婦に声をかけられたのです。“先日発表された芝居小屋の予定地は何処なのでしょうか?”、当然でしょうね、浅草に芝居小屋が出来るとしたら誰が考えてもここ六区しか思いつかないのでしょう。“ここじゃ無いのですよ、それは区立産業会館といって、浅草寺の二天門を出たところなのです”。持っていら地図でその場所を教えてあげたのでした。
 彼等は、“なんでそんなに離れた場所に造るのでしょうね、この東宝だって閉まったままだし、この裏には大きな駐車場になっている敷地もあるっていうのにね・・・”、ですよね。お芝居を観終わって小屋を出るとそこが繁華街。これって、江戸時代の常識だったのです。産業会館の場所に小屋が出来たとしても、観終わって出てくるとお隣は公園で、真ん前が小学校のグラウンドなのです。まさか、こんな文教地区に繁華街を誘致するわけにもいかないので、浅草でお芝居を観た方は、そのまま真っ直ぐお帰りくださいってことなのでしょうかね。あほまろも芝居小屋を誘致するなら、六区が最適と思うのですけどね・・・。
 そう、歌舞伎座はまだ銀座の繁華街に近いので良いとして、国立劇場でお芝居を観て外に出た時に感じる一抹の寂しさ。それって、真向かいには真っ暗な皇居のお堀しか見えないのも原因なのでしょう。“あ〜、楽しかった”、小屋を出ると赤や黄色のネオンが眩しい繁華街、“ちょっとそこいらでお芝居の余韻を楽しんでから帰ろうよ”、なんてのも、お芝居の楽しみなのです。でも、あほまろは酒を止めたんですよね。
 それにしても、六区で閉まったままの東宝の跡地はいったいどうなるのでしょう。また、向かい側の大勝館だって、場内はアスベスト向き出しのままで営業しています。これも、絶対近いうちに行政から改善命令が下るのでしょう。ちょっと狭いのですが、いっそのこと大勝館を芝居小屋に改造した方が手っ取り早いのではないのかな・・・。

 浅草観光連盟のホームページの趣意書の中で、「いよいよ団塊の世代がリタイヤの時期を迎え観劇や音楽鑑賞の人口はいっきに増大し、全国の劇場の需要は大きくなるばかりです。そんな折、歌舞伎は世界無形文化遺産に指定されると共に、毎年恒例の浅草新春歌舞伎で証明される様、若い世代にも大きな人気を持つ演劇になっております。」、それには、芝居小屋の周りの環境も一緒に考えて欲しいですね。
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『今朝の雷門』
 いよいよ来週月曜日頃から東京も入梅をするようです。雨の日でも快適に過ごしてもらおうと、この時期から仲見世一帯には可動式の屋根が取り付けられるのです。便利さとは裏腹に、この屋根のおかげで仲見世がとっても狭苦しく見えてしまうのですよ。更に屋根のシートを降ろすと、写真に撮ると真っ暗になってしまうのです。しかたがないけど。
   

   
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『今朝の一写』
 銀杏の古木、すっかり緑が濃くなってきましたね。この大木、戦前は東京都の天然記念物で、高さは現在の三倍以上もあったそうです。戦災で無惨に焼け落ちてしまいましたが、まだこのように元気な姿を見せていますよ。
  

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『今朝の境内』
 とうとう宝蔵門全体が足場で覆われてしまいました。
   
 朝早くから重機が忙しそうに動いています。ちょっと前までは、この足場を運ぶのは人海戦術でやっていたのを思い出しますね。今は、ご覧の通りどんどん重機で持ち上げてしまうので、作業員の数も極端に少なくなったようです。
   
 ようやく浅草神社の幟が降ろされました。
   
 境内の桟敷席の取り壊しも行われています。これで、三社祭の名残は総て消え去ってしまうのですね。あ〜早く来年の三社祭が来ないかな・・・。こんな光景を見ながら、そんなこと思っているのは、あほまろだけじゃ無いでしょうね。
   
 新緑の蔦に覆われた浅草観音温泉。なんとなく奇麗だったので撮ってみました。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 今日が本当の「端午の節句」なのです。この時期になると菖蒲も奇麗に咲き誇っているのですが、新暦の5月5日には天然の菖蒲は咲いていません。みんなハウス栽培で育ったものばかりなのです。
 「端午の節句」は、奈良時代から続く古い行事です。端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味なのです。ですから5月に限ったものではありませんでしたが、午(ご)と五(ご)の音が同じなので、毎月5日を指すようになり、やがて5月5日となったそうです。
 江戸時代にはいると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じるようになりました。また、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝ったのが、鎧や兜、武者人形、馬や虎・若武者の人形、鯉のぼりの起原になったのでしょうね。
 下の写真は、明治末期の絵葉書です。ご覧の通り、男の子のために今よりも豪華な武者飾りを飾っていたのですね。
   
 武者飾りを飾れるのはお金持ちの子供だけ。庶民の子ども達は、祝ってもらうこともなく、赤ちゃんの子守をしていたのです。少なくてもあほまろが子供の頃までは、近所の女の子達が、このように赤ちゃんのお守りをしながら遊んでいたっけ。
   
 珍しい日本の風俗として、このような光景を撮った絵葉書が外人に受けたのでしょう。
   
 訂正:昨日の日記で、日本初の地下鉄を昭和6年と誤記してしまいました。昭和6年は、東武鉄道が浅草まで乗り入れた年で、それから75周年になるのです。地下鉄が上野ー浅草間に開通したのは、昭和2年でした。ここに訂正させていただきます。二日酔いでボケていたもので・・・。


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数41枚