あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年5月8日 (月) 旧暦4月11日友引

- 梅の実の音 -

日記


『今朝の浅草』
 天気予報では雨なんて言って無かったのですが、今朝は霧雨の朝になってしまいました。こんな雨で困るのが、カメラのレンズを濡らすことなのです。普通の雨だと、レンズを下に向けておけばレンズを汚すことは無いのですが、細かい霧雨はちょとした風で下からも舞い込んで来るのです。そのまま撮ると、ソフトフォーカスのレンズのような写真になってしまうのもまた一興かな。雨だって見方に付ければ、写真も楽しくなるのですよ。

 我が家の犬たちは、新しく家族に加わったナナちゃんの様子が気になってしょうがないようです。娘の部屋の前を意味も無く行ったり来たりしていますよ。犬ばかりじゃ無く、あほまろもやっぱり気になってしまうのです。夜中にふっと目覚め、気になってナナちゃんの様子を見にいってしまったり。その様子を察知した女房までが起きたりして・・・。
 まだ3日目なので、ナナちゃん本人は我が家にまだ慣れていないようです。しきりに、キュ〜ンキュ〜ウンって泣くのは、一人っきりで部屋に閉じ込められ、ペットショップで大勢の犬たちと一緒に過ごしてきた日々を懐かしんでいるのでしょうね。でも、もうちょっとの心棒ですよ、三回目のワクチンが終わったら、ペットショップのように4匹の犬に囲まれた生活に戻れるのですよ。

 先日、モモちゃんと同い年のチョロ松の急死を、東京新聞の丹治早智子記者が取材されていたのが、今朝の朝刊に掲載されました。
 以下は、東京新聞ネット版からコピーを掲載させていただきます。
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 浅草の『チョロ松』急死
“孝行犬”の思い出を歌に
 ♪病んだ主人(ぬし)には恩返し せめて引っ張る車いす−。主人が乗った車いすを引いて約六年間、散歩を続けた犬がいた。台東区浅草の名物犬チョロ松が四月初め、多臓器障害で急死した。愛犬をしのび、飼い主の大谷清子さん(78)が、共に暮らした日々を歌にした。自主制作のCD「チョロ松物語」が間もなく完成する。けなげなチョロ松の姿が胸を打つ。
 チョロ松が大谷さんと勉さん夫妻に拾われたのは十四年前の正月。浅草寺の境内、生まれてまだ一年足らずの子犬だった。新聞広告などで飼い主を捜したが見つからず、大谷家の一員になった。
 「しばらくは散歩に連れていくと、親犬を探してか、『クゥーン、クゥーン』と、切なげな声で泣き、それはかわいそうでした」。だが、夫妻の有り余る愛に包まれ、スクスクと成長した。
 勉さんは十年ほど前、若いころからの持病、糖尿病による合併症で脳梗塞(こうそく)を患い、車いすの生活になった。暗く、引きこもりがちだった飼い主に、無邪気に散歩をせがむチョロ松。背中を押されるように外に出た勉さんの車いすにリードを掛けると、チョロ松は迷うことなく引き始めた。翌日も、その翌日も。
 やがて車いすを引くチョロ松は町の人気者になった。三年前、勉さんが亡くなってからも、大谷さんの健康を兼ね、日々の散歩は欠かさなかった。自宅近くの浅草寺、仲見世、雷門。コースの中でもお気に入りの場所は六区の交番。なじみの警察官がいつも水とエサを用意して“孝行犬”を出迎えてくれるからだ。
 今年三月、チョロ松のうわさを聞いて写真家の福田文昭さんがその姿を写真に撮ってれた。チョロ松への思いを歌にしようと、大谷さんが歌詞を書いた直後の急死。福田さんの写真が遺影となり、CDのジャケットを飾ることになった。
 歌は大谷さん自身、作曲は、カラオケが大好きという大谷さんの歌の師匠、仲井一浩さん。編曲は、歌手北島三郎さんの「月夜酒」などを手掛けた蔦将包さんが買って出た。
 東京新聞 (丹治早智子)
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 2月頃までチョロ松の姿は、六区通りで見かけたのですが、突然姿が見えなくなったので心配していたのです。チョロ松を最初に見たのは、
あほまろが浅草に越して来てすぐの頃でしたよ、その時はご主人の車いすを曳いていた時でしたよ。チョロ松のご冥福をお祈り申し上げます。

 一昨日お逢いした耳のご不自由なカメラマン志望の方からお礼のメールが届きました。モモちゃんに逢えた嬉しさと共に、浅草で故郷和歌山を思い出す梅の実が見られたこと等々が綴られています。その中の一節に、
 “まだ世間を知らない未熟の梅の実からは尖った金属音が流れ、どんどん成長していくに従って暖かい重低音になっていくのです。暖かい写真が撮れる写真家になるためには、まだまだ修行が必要なのですね。”
 あの時、“写真に音は必要ありません。でも、良い写真からは奇麗な音楽が聞こえてくるのです。”って言った意味が解ってくれたようですね。
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『今朝の雷門』
 連休も終わり、普段の日に戻った雷門には、通勤や通学の人達が戻ってきました。そういえば、4月28日の朝に雷門前で出逢った○子さん、長いお休みを終えて今朝帰って来たはずですね。今頃はきっと成田で着替えて会社に向かっているのでしょうね。モモちゃんにお土産を買ってくれるといってたの覚えてますか。
   
   
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『今朝の一写』
 毎朝、何か変わった一枚を掲載しようと頑張っているのですが、どんどんネタ切れになってしまいました。そんな訳で、今朝の写真は「今昔対照」をやってみましょう。ここ、ひさご通りに天井付きのアーケードが完成したのは、東京オリンピックの昭和39年でした。その時に工事を請け負った日米金属建物社が完成記念として配った絵葉書が残っています。この絵葉書を見ると、今は真っ直ぐ伸びているアーケードですが、当時は言問通りに向かって軽く左にカーブしていたのですね。
 浅草で最初に屋根付きのアーケードが完成したひさご通りですが、屋根が付いたおかげで、夜は招かざる客が増えて困った時期があったそうです。
  
   
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『今朝の境内』
 宝蔵門の改修工事のテントが張られています。これも両側に同じように張られるのでしょうかね。三社祭には絶対邪魔になるってこと、百も承知なくえせに・・・。
   
 浅草寺本堂内部から見た浅草神社の奉納提灯です。
   
 三社祭は、19日〜21日ですよ。
   
 まだ撮って居るのですよ。桜の「定点観測」でした。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 雨の中、やっぱし出かけてしまいました。下谷神社の本社神輿が御徒町から上野駅までの渡御風景です。写真ではお解りになれませんが、これを撮っている最中、急に雨が激しくなってしまったのです。シリコンクロスでカメラとレンズを保護しながら撮りましたが、三社祭の本番前にカメラを壊してしまっては大変、いつもよりは、ほどほどに撮ってきました。
   
 御徒町のアメ横の反対側の狭い路地に千貫神輿が渡御するのです。担ぎ手と見物が入り乱れる中にもかかわらず、前の方で喧嘩が始まりました。しかし、人混みで警官が入ってくることもできずに遠くから見守っているだけでした。
 一昨年の本祭の時は、御神輿の後ろから不細工な機動隊のバスが着いていたのですが、今回はそれが無いので、御神輿がスッキリ目立っていました。
   
 上野駅前を通過する御神輿。この後、下谷神社の宮入りに向かうのですが、益々雨が激しくなってきたので、今回はこれでお終い。いよいよ次は三社祭の本番ですからね。その前の週は、神田祭もあったっけ。
   


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数63枚
昨日の下谷祭
CANON EOS-1 DsMK2,CANON ZOOM 17-35/28-70/70-200 F2.8
撮影枚数228枚