あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年4月16日 (日) 旧暦3月19日先負

- 秘密基地 -

日記


『今朝の浅草』
 降水確率30%の日曜日、まだ雨は降っていないようなので早めに散歩を済ませなくっちゃ、モモちゃんと急いだのですが、途中でちょっと降られてしまいました。このところ、雨も降ったり止んだりが多く、ジメジメとしてまるで梅雨のようですね。
 毎朝、浅草寺境内でお逢いするワンちゃんは、チワワのクミちゃん。三年前のサラ金のCMで人気が出た頃に購入したそうです。その後も派手なCMでチワワ人気を盛り上げていたサラ金アイフル、強引な取立と顧客からの委任状を無断で作成し、融資に必要な所得証明書や戸籍謄本などを取得したことなどが発覚したことによって、業務停止命令が出されました。それによって被害を受けているのが、直接関係の無いペットショップなのだそうです。クミちゃんを買ったお店では、ブームの当初から30〜50万円でもコンスタントに売られていたチワワでしたが、あの業務停止命令、広告自粛の報道以来ぴったり売れなくなってしまったそうです。
 CM中止になるケースとして、企業のイメージとして使用していたタレントが不祥事を起こして放送が中止になる、そんなケースは聞いたことがありますが、サラ金が不祥事を起こしたことによってチワワが売れなくなる。変な時代ですね。そんなことはお構い無しにチワワのクミちゃん。CMに登場する犬とそっくりで、愛想が良く、ひょうきん顔はみんなを楽しませてくれているのです。モモちゃんも大好きなワンちゃんですよ。何も知らないペット、悪徳企業の汚名を付けて欲しく無いですね。
 
「秘密基地」

 なんともいえない懐かしさと郷愁が込み上げてくる「秘密基地」。ガキの頃から憧れていた「秘密基地」のイメージは、60年代に一斉を風靡した海外テレビシリーズ、あの「サンダーバード」のイメージが強いのでしょうけれど、あほまろはそのちょっと前の時代の少年ジェット、月光仮面、ナショナルキッドの時代でした。その頃の「秘密基地」といえば、世界征服や人類滅亡を企ててる悪者が密かに潜伏していた場所が「秘密基地」だったのです。ですから、みんな正義の味方よりもサタンの爪のような悪者にも憧れていたのです。
 そんな時代の「秘密基地」、空き地に放置されている土管の中や、工事現場の資材置き場の片隅にゴザや段ボールを敷き、子供が2〜3名入れるスペースを確保、更にトタン板で屋根を乗せれば完成でした。真っ暗な室内では、お小遣いを出し合って近所の駄菓子屋さんで買ったお菓子を食べながら作戦会議。話し合うのはいつも悪巧み、それも、どこどこの誰それをやっつけようとか、そのためにはBB弾を集めなくっちゃ等々、おまけに「夫婦生活」なんて題名のボロボロのエロ本が持ち込まれると、それだけで完全に大人の世界から謝絶されて子供だけの「秘密基地」になっていたのでした。
   
 タカラトミーがPC周辺機器として、「秘密基地をつくろう!」シリーズなんてのが発表されましたね。とはいっても、パソコンに接続して使う兵器のような扇風機とか、コントロールレバー風のジョイステック、そんなのに我々が求めていた「秘密基地」の称号を与える訳にはいかないよ、なんて思っていた矢先、浅草の台東区産業会館で開催された、タカラトミーによる「タカラトミーグループ夏商戦商談会」に登場したのが、なんのことはないただのスイッチ。機能は何もないがそれがとってもリアルなのです。緊急時以外は絶対に触れてはいけないようなスイッチ。マスターキーが無ければ回せないスイッチ、また、開発中とはいえ、スイッチを入れると本格的な波形を描き出すオシログラフ。更に、工事現場風というか、下町工場風というか作業着まで用意されて、キャラクター設定は完璧なのです。その作業着の胸に書かれた会社名が「スキマ産業」なんてのも嬉しくなってしまいました。
 あほまろの「秘密基地」は、どっちかというと隠れ家的存在として持ったつもりでしたが、最近はその存在がみんなに知れ渡ってしまい、どこが「秘密」なんて言われるようになってしまいました。それじゃいっそのこと、これらのスイッチ類を所狭しと並べ、近づいたら爆発するかのイメージに変えてしまいましょうかね。
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『今朝の雷門』

   
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『今朝の一写』
 白っぽい桜が満開を迎えました。これは八重桜の一種なのでしょうね。阿弥陀如来像の顔に覆い被さるように咲く姿が奇麗ですよ。浅草寺境内は、このように仏像と季節の花々の相性、まるで計算して造られているかのように整っているのです。
  
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『今朝の境内』
 今日は「早慶レガッタ」が開催されます。今年で75回となるこのレースですが、浅草での盛り上がりは今ひとつです。早稲田と慶応の出身者だけが盛り上がるだけじゃつまらないですね。六大学とか首都圏大学とか、もっと参加校を多くすると浅草だって街を挙げて応援してくれるかもね・・・。
   
 本堂の前の「宝蔵門」です。この建物は東京大空襲で本堂と共に焼失してしまい、昭和三十九年に大谷重工業社長の寄進によって再建された建物です。まだ新しいようにも感じますが、老骨化が進んでいるとのことで、今月末から修復工事が始まるようです。今月末からというと、三社祭の時は足場が組まれた状態になっているのでしょうね。工事の着工を三社祭を終えてからとか、もう少し考えて欲しかったよ。
 それと、いよいよ「二天門」の改修工事も行われるようですよ。
   
 いつもの光景、説明は要らないよね。

   
 境内の老銀杏木、どんどん緑を多くしています。まだちゃんと生きている証拠ですね。
   
 「定点観測」の桜。能書きをどうのこうのと書ける状況じゃ無いですね。
   
 同じ枝には、ほんのちょっと花が残っています。
   
   
 おや、土橋さんが来たのですね。上の方と人物にちょっとだけ変化がありました。
   
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『昨日の行事』

◆草鹿
 行列出発: 伝法院前 10:30
 行列会場到着: 隅田公園  10:50
 執行: 隅田公園 11:00〜12:00
   
 「草鹿」は、現在小笠原流歩射の式として残っておりますが、その起源は、建久五年源頼朝の頃からだそうです。言葉や問答に古から伝わる礼儀が有るようですが、同じ弓を射るのも、流鏑馬のダイナミックとは正反対で厳かに行われていました。詳細は、こちらでご覧ください。
   
   
◆流鏑馬
 行列出発: 伝法院前 12:00
 行列馬場到着: 隅田公園 12:50
 執行: 隅田公園 13:00〜14:00
 伝法院を出発した一行は、伝法院通りからオレンジ通り、雷門通りを左折して雷門から仲見世、浅草寺を詣でて、浅草神社まで徒歩による行進。神社で、開会の行事を行ってから馬で会場の隅田公園に出向いたのです。
   
   
 今回出場した選手は、鎌倉幕府創設の時代から八百年以上連綿として継承されてきて小笠原流の継承者たち21名。約250メートルの特設馬場に馬を駆けさせながら、3つの的を次々に射るのです。
   
 今回の選手の中の最年少は、中学生の女の子。両手を離して馬に跨る勇壮な姿は中学生に見えませんでしたよ。
   
   
 競技を終え、笑顔で帰ってくる姿は中学生ですね。三個中一個だけ的中でしたが、素晴らしい演技に会場から大きな拍手が沸き起こっていました。
   
 最後はベテランの演技です。さすが、三個の的を的確に捉えておりました。
   
 的に的中すると、大歓声と共に中に仕込まれた紙吹雪が舞い散るのです。
   
 流鏑馬と草鹿の様子は、後日あほまろ写真館にても公開したします。 


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数39枚
 昨日の流鏑馬と草鹿
CANON EOS-1 DsMK2,CANON ZOOM 各種
撮影枚数832枚