あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年2月11日 (土)建国記念日 旧暦1月14日友引

- 春の臭いでした。 -

日記


『今朝の浅草』
 祝日ですが土曜日とあって、お勤めの方には何のメリットも無い休日です。明治5年に「古事記」「日本書紀」などの記述に基づき、初代天皇とされる神武天皇が即位したという1月29日を「紀元節」として、祝日に定められたのでしたが、翌年からの新暦変更に伴い2月11日に変更されたのです。(詳細は「今朝の余談」で)
 祝日の名称はともかく、今朝もとっても寒い朝になりました。水溜まりの氷や、土の霜柱も昨日と変わることなく続いています。今朝のモモちゃん、いつもはお地蔵さんの広場で霜柱を踏みつけて遊んでいたいいていうのに、連日の寒さで飽きてしまったのか、霜柱には全く興味を示さないのです。それより、“早く帰ろうよ”と言わんばかりに、最短散歩コースに導くのでした。
 母子地蔵の後ろの梅の木。少しずつですが蕾が開いてきました。他の場所も同様にまだ蕾のままです。浅草寺境内は遅咲きの梅しか無いんでしょうね・・・、そんな事を考えながら影向堂から淡島堂を見ると、数輪ですが紅梅が咲きました。まだ数が少ないので、あの独特な臭いは漂っていませんが、しっかりと開いた花びらの周りには黄色い花粉も飛び散っています。小枝を引き寄せ、そっと嗅いでみました。ほのかに甘い春の臭いでした。もう少し咲くと、側に寄っただけでこの臭いを感じるようになるのです。それからようやく本格的な春がやって来るのでしょう。

 昨日、テプコ浅草館で開催されている「『語り部』鈴木さんが写真展」を観てきました。戦前から現代までの芸能人を中心に、およそ500点の写真が展示されています。鈴木さんは、
東京大空襲で散り散りになった旧友や仲間たちと集い、浅草の昔や今、未来を語り合おうと昭和38年に、文化、芸能人らに声をかけ、「浅草を語る会」を興した方です。浅草芸人を軸にパネルで構成された写真の数々、懐かしい顔に混じって、今でも活躍されている芸人さんたちの若い頃の写真など、とってもユニークな写真展になっています。あほまろ個人的には、もっと当時の街並みも展示してくれたら良かったのに・・・、でも、今回は展示のコンセプトが違ってましたね。

 「自分の手で浅草の記憶を後世に残していこう」と、写真集「浅草」(創林社刊)を皮切りに、「浅草の昭和を彩った人たち」(東京新聞出版局)、「浅草いまむかし」(台東区民新聞社刊)を刊行するなど、執筆活動に取り組み、今回の写真展は、自身の集大成ともいえる膨大なスナップの中から、これまで未発表のものを展示したそうです。
 この写真展は、3月26日まで「テプコ浅草館」にて開催中。入場無料、月曜休刊。
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『今朝の雷門』

 最近は修学旅行が減っている。それは浅草に限らず、修学旅行のメッカ京都も同じようです。京都の修学旅行といえば清水寺などを巡るのが一般的ですが、お土産を買うのは「新京極」の繁華街でしたね。その「新京極」も、浅草同様、かつてにぎわった映画館や劇場は姿を消しつつあるのです。映画の街として栄えた「新京極」。最盛期には、単館など10以上の映画館が軒を連ねていたのですが、現在は複合映画館「シネマコンプレックス」に姿を変え、芝居小屋や寄席も姿を消してしまったそうです。
 そんな「新京極」に拍車をかけるよに修学旅行で訪れる学生が急減。土産物店10数軒が最近になって店をたたんだそうです。原因は京都に宿泊しても、大阪のユニバーサル スタジオジャパンなどに足を伸ばすのが一般的。東京に来た修学旅行生の一番行きたい所が、東京ディズニーランドと同じ傾向なのでしょうね。
 つい数年前の散歩の写真には、少なくなったとはいえ、この時期には、早朝から修学旅行の学生が大勢写っていたのですよ。
   

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『今朝の一写』
 あほまろの家の前の「雷門仲通り」に、犬のタペストリーが掲げられました。一見、向かい合っているかのように見えますが、表裏で吊されているのでそのように見えるだけで、どっちも同じもののようです。よく見ると、左側の文字が反対になってますよね。これも、ちょっとしたアイデアなのですかね・・・。
  
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『今朝の境内』
 伝法院のお庭の浅草寺幼稚園には、たくさんのソメイヨシノが立っています。満開の桜の時期になると五重塔はもちろん、幼稚園の入口も見えなくなるほどの桜を楽しませてくれる場所でもあるのです。それもあと一月ですね・・・。
   
 よやく開花した淡島堂の前の紅梅です。梅の花は桜と違って、いわゆる満開の感じを見せてはくれませんが、梅の花の特徴は花札のように蕾との融合でしょうかね。ほのかな春の臭いでした。
   

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『昨日の行事』
 
 旧暦二月の最初の午の日を「初午」といい、お稲荷さんの縁日です。稲荷神の信仰は、農耕を司る倉稲魂神(うがのみたまのかみ〜宇迦之御霊神とも表記)を祀って五穀豊穣や福徳を祈願するものですが、キツネを稲荷神の使いとして油揚げを供えたり、初午団子などを作る風習があります。
 東京には江戸時代から「伊勢屋稲荷と犬の糞」とも言われたように、下町のあちこちにお稲荷さんが存在し、「初午」には地口行灯を掲げ、油揚げを供えてお稲荷さんを祝うのです。
 浅草で有名なのが、安政元年、新門辰五郎が建立した「被官稲荷神社」でしょう。現在は、浅草神社の末社としてその境内に祀られています。
   
   
 あほまろの近所にも、「無事富稲荷大明神」というお稲荷さんがあります。もちろんここも「初午」には、地口行灯を掲げ、油揚げを奉納してお祝いをします。このような民間信仰も長い年月絶えることなく続いているのも、下町の良さなのでしょうね。
   
   
 「初午」とは全く関係の無い行事も開催されました。「新仲見世スタンプラリー」恒例の「サンバだ・フォー!」。この寒い中にもかかわらず、ミニ・サンバカーニバルが開催されたのですよ。昨年は、小雪が舞い散る寒い日でしたが、今年はちょっとは暖かったのですが、それにしても真夏と同じ格好ですからね・・・。
 正午からと、午後2時の二回、新仲見世の六区側から仲見世を交差し、松屋前までのおよそ400メートルの新仲見世を踊ったのでした。寒いのにお疲れ様でした。
   
   
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 土曜日と祝日が重なってしまっても残念ながら月曜日の振り替え休日ってのは無いのですね。そんな今日は「建国記念日」の祝日です。かつて「紀元節」として奉祝されてきた日ですが、戦後廃止され、昭和41年に「建国記念の日」として復活しました。あくまでも建国を記念する日としたようです。じゃ何も2月11日でなければいけなかったのでしょう。年輩の方の間では、まだ「紀元節」という言葉の方がピンとくるようです。
 この「紀元」とは、大日本帝国での神武天皇が即位したとされた年を元年とする紀年法で、西暦紀元前660年に相当するといわれ、神武暦は西暦よりも660年大きな値となります。そんな訳で、今年は西暦2006年+660年=紀元2666年ってことになるのですね。とはいえ、実際に神武天皇が即位した時がいつであるかについては不明なのですよ。
 第二次世界大戦中に、紀元2600年と区切りの良い時代を向かえ、「大東亜共栄圈」は、日本を盟主としてともに繁栄すべき東アジアの諸民族・諸国を意味し、「八紘一宇(はっこういちう)」の精神で、全世界は天皇のもとに一つの家となる。これをかかげて国民を洗脳した結果が、アジア太平洋諸国に犠牲者二千万人以上という史上最大の惨害をもたらす結果になったのです。
 今ではほとんど使われなくなってしまった「紀元」ですが、あほまろは毎年この日が来ると、単なる年号の「紀元」の背景に流れている危険性を再認識するのです。神道の世界では未だに用いられてるのが恐いですね。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数46枚