あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年1月29日 (日) 旧暦1月1日先勝

- 旧正月 -

日記


『今朝の浅草』
 旧正月「春節」です。とはいえ新暦に慣れてしまった日本ではすっかり廃れてしまった行事ですが、横浜や神戸の中華街では毎年派手なお祝い行事が行われるのがテレビなどでお馴染みですね。本場中国や台湾では、今日からが本当の新年なのです。そう、干支も「酉」から「戌」に変わる節目なのです。
 干支の考えは旧暦によるものなので、新暦元旦から干支が変わる。四柱推命や吉凶の判断などにも影響する干支の算出う方法、日本は間違っているのです。特に注意しなければいけないのが、1月から3月までに生まれた方の干支。その方は、もう一度産まれた年の旧暦を調べてみてはいかがでしょうか。

 中国の「春節」期間は旧暦の1月1日から15日の元宵節までです。実際の休みが15日間あるわけではなく、近年は土日を振替えての7日休みが定着しつつあります。「春節」は一家団らんで年を越し、北京を含む北部地区では縁起を担いで日本のおせち料理のように、餃子を食べるのが一般的です。また部屋の中にはおめでたい年画を、門や戸には春聯を飾って春の訪れを祝うのです。
 「春節」といえば、爆竹が有名ですが、本場中国、特に北京市街では残念ながら1994年の春節から爆竹が禁止されてしまい静かな年明けになってしまいました。あほまろはちょうど禁止された1994年の「春節」を北京で迎えました。しかし、長年の慣習から、禁止されたのも承知で、街のあちこちでナイショの爆竹が・・・。ナイショといっても爆音を奏でる爆竹、公安(警察)の連中が音の聞こえている方角に走って行く姿、あちこちで見かけたのを思い出します。
 その翌年は、台湾で「春節」。こちらは、早朝から夜遅くまで、街のあちこちで爆竹の音が鳴り響いておりました。台北の街中、破裂した爆竹の真っ赤な殻がまるで残雪のように積もっていました。台湾で真っ赤な残節、ちょっと表現がおかしいかも知れませんが、そんな表現がぴったり
だったかな。

 今朝もちょっと暖かい朝になりました。こんな日は毎度お馴染みの富士山もうすぼんやりとビルの谷間に浮かんでいます。散歩に出かける前、気温の指針になるのが我が家から見える富士山の姿なのです。
 暖かいというより、湿度がいつもより高いと表現した方が良いのかも。僅かに残雪が残る境内一帯では、土がむきだしになっている箇所には霜柱が立ち、水溜まりは凍り付き、境内の猫たちは神社の軒下で身体を寄せ合って寒さを凌いでいるのです。霜柱は、湿度の高い朝に土が空中の水分を吸収して出来るのだそうですから。
 雷門通りの幟が、浅草歌舞伎から、季節の行事が印された幟に変わりました。今回は2月から3月までの行事が書かれているところを見ると、きっとこの幟は2月ごとに取り替えられるのでしょうかね・・・。
 写真のお嬢さんの詳細は「今朝の余談」で。
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『今朝の雷門』

 日曜日なので、早朝から家族連れが訪れて記念写真を撮っていました。香港でお仕事をしている方で、春節の休みを利用して東京観光に帰国したそうです。“浅草は一度訪れてみたかったのです。でも、写真で見るのとは違って、こんな寂しい場所に建っていたとは・・・”、そんなこといってました。朝はいつもこんな感じです。今日は日曜日なので、日中の賑わいは、香港のネーザン通りよりも混雑してるんですよ。とはいえ、誰も居ない朝の雷門から想像は出来ないでしょうね。家族一緒に記念写真を撮ってあげました。
   

 裏側の屋根には、まだ少しですが雪が残っています。落雪注意のフェンスはまだそのまま置かれていました。
   
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『今朝の一写』
 週末の六区通りは場外馬券場に来る連中で混み合います。そんな連中のために、この辺一帯にはたくさんの屋台が並びます。このお店「みのるちゃん」の名物はモツ煮込み。早朝から良い臭いがグ〜。空きっ腹のあほまろとモモちゃんのお腹もグ〜
 まだ早いのでお客さんは居ませんが、場外馬券場のすぐ側と場所が良いので、これから夕方までは空席がほとんど無いほどの混雑する、浅草に馬券を買いに来る人達には有名なお店なのですよ。
  
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『今朝の境内』
 暖かいといっても外気温は3度、やっぱり寒いですね。
   
 お地蔵さんの広場、土が浮き上がっているのが確認できるでしょう。これがみんな霜柱で浮き上がっている状態なのです。今朝もモモちゃんと一緒に、霜柱を麦踏みのように、グシャ、グシャっと踏んで歩きました。これって、モモちゃんはとっても喜ぶ作業なのです。今朝はちょっと気温が高くなったので、霜柱も緩んで良かったね。
   
 節分会の舞台の足場が完成しました。これから踊り場に板を敷いたり、周りに紅白の幕を張ったり、まだまだ作業が続くようです。

   
 おまけは、逆光の五重塔。右の赤い丸のように、この広角レンズは、目一杯に望遠側にするとちょっと変わったフレアーが出るのです。それを利用した効果も楽しいので、たまにこんな写真も撮っているってわけ。
   
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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 女性浪曲師・浪花亭友歌さん(27)が、木馬亭で浪曲師として本格デビューを果たしました。新人浪曲師の初舞台は、1993年の太田ももこさん以来、なんと13年ぶり、最年少の誕生です。浪花亭友歌さん、本名の戸田智江で演歌歌手としてデビューをしているのですが、演歌の幅を広げようと浪曲に挑戦しようと東家浦太郎師匠に弟子入り、一昨年五月から稽古を重ね、ようやく昨夜の襲名興業となったのです。
   
 彼女は福井県の出身で、ご当地では演歌歌手として有名な方です。今回の襲名興業のお祝いに、福井県からバスを仕立てて応援に駆けつけた後援会の方々を始めとする、講談ファンで満席になった木馬館。東家浦太郎師匠と共に高座に上がった友歌さん、“浪曲を知らない世代にも浪曲の良さを知ってほしい”、ちょっと緊張気味で襲名の口上を述べたのでした。
   
 さて、初舞台は講談ではお馴染みの「男の花道」。人気女形中村歌右衛の目は失明寸前の状態。目が見えなくなったら役者はおしまいと、歌右衛門は死ぬ覚悟で井戸に身を投じようとしたとき、同じ宿に泊まっていた眼科医・土生玄碩が「死ぬほどの決意があるのなら、治療をまかせてくれ。・・・おれはその治療に命をかけよう。命を」と止めるのだった。心をうたれた歌右衛門は全てを玄碩にまかせるのだった・・・。

 と、そんなお話。浪花節の調子とはちょっと違和感の有るかん高い声。どっちかというと、若い講談師のような、そんなことを思いながら聞いていましたが、話が佳境に入ってきた終盤の盛り上がり、身振り手振りを入れた熱演、結構サマになってるじゃないですか。いやいや、衰退しかけている浪曲会に、浪花亭友歌さんによって、新風を吹き付けてほしいですね。
   
 浪花亭友歌さんと、東家浦太郎師匠の浪曲を終えると、振り袖姿の浪花亭友歌さんから、演歌歌手戸田智江さんのワンマンショーです。とはいえ、やはり、演歌に浪曲を取り入れた「人生勝負待ったなし」を始め、地元福井県の水仙を題材にした歌を披露してくれました。
 浪曲界では、過去に二葉百合子さんや三波春男さんなど、演歌に転向した演歌歌手はいても、演歌歌手から浪曲師になったのは初めてだそうです。これからの活躍に期待したい新人浪曲師の誕生でした。
   


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5他
撮影枚数47枚