あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年1月16日 (月) 旧暦12月17日仏滅

- 藪入り -

日記


『今朝の浅草』
 天気予報によると、東京はこれから雨が降って気温も下がるとのことですが、とっても暖かい朝の散歩でした。何を基準に暖かいのかというと、あほまろは「手」の感触で判断しています。“毎朝持ち歩くカメラの操作で、指がどれだけ耐えられるか”、そんな判断材料が有るからなのです。電源はもちろん、露出やシャッター速度設定、フイルターの取り付け取り外し、広角と標準レンズ交換、画像チェック等々、散歩の途中でもしっかり総ての作業をこなしているのです。これが寒くて手が凍える時は最悪です。それでもやらなければいけない作業なのです。毎朝日記でご覧になっている写真、ただパチパチ撮っているって訳じゃ無いってことも、知ってくださいね。
 「小正月」も過ぎて街中からお正月気分が一気に抜けていきます。今朝も浅草公会堂前のお店から門松が下げられていました。これらの門松やしめ飾りは「七草」が過ぎたら片付けるのが一般になりましたが、本来は「小正月」が過ぎてからが正しいようです。でも、いつまでも正月気分を引きずらないよう、早めに片付けてしまったほうが気分が良いようですね。あほまろは「七草」の翌日、総てを取り去りました。
 お正月が一段落した1月16日は、住み込みで働く人達が実家へ帰る「藪入り」です。とはいえ、現在では全く使われなくなってしまった言葉ですね「藪入り」の起源は藪深い里へ帰ることからとか、宿下がりの意味があるとか諸説があるのですが、由来は定かではありません。奉公をする者たちは、この日とお盆を終えた7月16日だけ、実家に帰ることが許されていたのです。なんと年休2日だったってわけ。みなさん働き者だったのですね。
   
 浅草六区の賑わいといえば、演芸ホールとお隣の大勝館に飾られた芸人さんの名前が描かれた幟ですが、六区の最盛期にはこの通りいっぱいにこんな幟が並んでいたのです。あほまろが最初に浅草に来た昭和41年、既に劇場の数も激減していましたが、松竹、浅草花月、東京クラブや常磐座等々往年の名残がちょっとは残っていたのを懐かしく思い出します。
 お芝居を始め、映画上映のメッカとして日本一の賑わいを見せていた浅草、昭和39年の東京オリンピックをピークにどんどん衰退し、今では映画の封切り館も「東宝」一軒だけになってしまったのです。それも、今月いっぱいでお終い。
 これで、浅草から完全に映画上映の歴史が消えてしまうのです。残ったのは、二棟四館の三流映画館。どっかの田舎町にも有るような、往年の名作とロマンポルノの三本立なんて、誰がわざわざ浅草まで観に来るのでしょうね・・・。
 そんな懐かしい浅草が「浅草、あの頃。」というお芝居になりました。あほまろは女房を従えて、昨日の楽日に行ってきました。この話題は、あほまろが創っている雑誌「ん!?浅草」12月号にも紹介しているのでご覧になった方も多いでしょう。このお芝居の中で一番感動したのが、劇中の小道具として我が雑誌「ん!?浅草」が登場していたってこと。それ以外は・・・。下の「今朝の余談」項目で、ご覧ください。
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『今朝の雷門』

 浅草のランドマーク雷門。訪れる誰もがカメラを向ける日本一の被写体でもあるのです。しかし、この門の正式名称が「風雷神門」っていうことと、両側のお堂の中に、風神・雷神が入っているっての知る人は少ないようです。先日、とある業者が雷門の風神・雷神のフィギアを持ってきました。物は確かにそれなりの格好をしているのですが、実際の物とは似ても似つかぬ様相なのです。これも、両神様が奥まった所に安置され、おまけに金網で造られた檻のような所に入っているため、写真に撮ろうとしても上手に写せないってことも知名度を低めているのでしょう。いつか、広い場所でご開帳をし、じっくりとそのお姿を拝見したいですね。
 どっちの神様が偉いのかは判断つきかねますが、右が風神、左が雷神ってことは、右(上手)の風神さまの方が格付けが高い神様なのでしょう。それでも、提灯は「雷門」とだけ、気の毒なのは風神様。
   

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『今朝の一写』
 浅草花やしき前のこのお店。以前は刺青やヌード写真を中心としたポスターやカレンダーを売る変わったお店でした。観光客がみなさん奇妙なポスターにカメラを向けるため、あちこちに撮影禁止の札を張り巡らしていたのをご存じの方も多いでしょう。それが、4〜5年前からこのような陶芸教室を始めたのです。「金龍窯元」「アート堅人焼」聞き慣れぬ焼き物ですが、いったいどんな作風なのでしょうかね・・・。一日体験1時間、費用1000円。入門入会金12000円などの料金標も出されています。興味は有るのですが、ちょっと恐そうなお店なのでまだ近付いたことがありません。どなたか体験なさった方、いらっしゃいますか?
  
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『今朝の境内』
 桜茶屋の建設が行われている境内。今月18日の観音縁日には、「温座秘法陀羅尼会(おんざひほうだらにえ)」が開催されます。これは一山住職全員が出仕して、7日間にわたり「観音密供」168座を修するもので、昼夜不断に行われ、座っている台座が真冬でも冷えることがないため「温座」と呼ばれているそうです。
 あほまろの知り合いもこの業の最後「亡者送り」に参加するとのこと、今年は写真を撮ってあげましょうね。
   
   
   
   

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 浅草に直接関係の無いお話。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 今朝の日記でも紹介したお芝居「浅草、あの頃。」のお芝居を観てきました。昨日楽日の特別公演は、ストリッパーの大御所、浅草駒太夫さんの花魁ショー。お客さんを舞台に上げて銜煙草とお酒を振る舞うってのは、日光江戸村などでも行われている花魁ショーです。でも、浅草駒太夫さんはそこからが違っている、なんとヌードショーまでご披露してくれたのです。とはいえ、80才を遙かに超えたお年の裸体です。それが・・・、喜んで観ている方っていらっしゃったのでしょうかね・・・。子供も観に来ているお芝居だっていうのに、女房なんて呆れてましたよ。
 いくら往年の名人とはいえ、あほまろは、お隣に座っていた18才のお弟子さんだったら観てあげても良かったのに・・・、残念。
   
 さて、お芝居はというと。昭和の初期の浅草なのでしょうね。でも、会話の中に台東区なんて言葉が出来来るので、戦後なのかも。ま、時代考証なんて全く関係の無いごったまぜの浅草文化が演じられたってわけ。
 ストーリーは簡単で、田舎から出て来た娘を食い物にするちんぴら。どさ回り中の演歌歌手とマネージャ。浅草を散策する大人気の評論家と編集記者。そんな連中が、古い喫茶店のママを頼って集まって来るって単純なお話。その途中に、劇中劇や踊りが挟まれているいのです。
 当時、ストリップ劇場で演じられていた浅草コントの「マルサンカク」や、「西部劇風酒場の決闘」なんてのはとっても懐かいのですが、演じる連中が本物を理解していないってこともあって、なんとなく消化不良の浅草コントになってしうまったのが残念です。
 それにしても、懐かしいあの頃の浅草を演じるのが、両国の劇場だってことが一番不服だったかもね。浅草を語るのだったら、ぜひ浅草で公演してもらいたいですね。
   
 評価は別として、「にんげん座」新春公演「浅草、あの頃。」は、楽しいお芝居でした。せっかく両国まで足を延ばしたので、帰りは女房と巴潟でちゃんこ鍋。あ〜おいしい。こっちの方がお芝居よりも記憶に残ったりして。


今朝の写真
CANON EOS-KissDN,CANON ZOOM 10-22 F3.5-4.5
撮影枚数47枚