平成16年(2004)11月11日 木曜日

- 新興勢力 -

 秋晴れも昨日まででしたね。今朝からまたまた雨の予報が出ております。浅草
でも街全体が霧に覆われたようにもやっています。雷門から宝蔵門が望めないほ
どなのです。昼までには雨が降り出すのでしょうね。
 こんな朝は、モモちゃんに悪いのですが、なんとなく早足の散歩になってしま
いまます。モモちゃんもそんな様子を判っているかのように、早めに用を足して
散歩の最短コースに導くのですよ。毎日一緒にいるとお互いの考えが通じ合うの
ですよ。
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 浅草は、東京の下町の代表です。浅草観音でお馴染みの浅草寺をはじめ寺社も
多く、お祭りや各種イベントも賑やかな、江戸の時代からの歓楽街なのです。
 今更そんなこといわなくても浅草という土地柄はみなさんも良くご存じですよ
ね。ここ浅草が一番栄えた時代といえば明治中期ころ。その頃から続々と軒を連
ねた芝居小屋や活動写真場、そして日本一の観光地を決定付けたのが、英国人ウ
ィリアム.バルトンの設計で明治23年10月落成した。日本一高い「浅草十二
階・凌雲閣」だったのです。
 高さは約60メートル、10階までは総レンガ造りでその上に屋上部分の木造
二階建てが乗っかったような造り。中には世界各国の品物を売る店やお茶屋さん
があり、11.12にはこれも日本初の望遠鏡が備えられていました。それに、
8階迄はこれも日本最初のエレベーターが設置されたのです。
 この「浅草十二階」は、浅草の名物だけでなく、東京の名物ともいえたのでし
た。名物が有るから人が集まり、人が集まる所には見せ物小屋も集まってきて、
更に活気に溢れてくる。そのような相乗効果によって浅草は栄えてきたのです。
その後「浅草十二階」は、関東大震災で崩壊するのですが、一度有名になった浅
草の人気までが崩壊した訳ではありません。国の恩賜公園という利点でいち早く
復興した浅草はその後も観光地として発達を遂げてきたのですが・・・。
 いつからこんなに寂れてきてしまったのでしょう。寂れたという表現は過去に
華やかな時期が有ったからこそ用いられる表現です。それでも、他の観光地に比
べてもまだ賑わっている方ですよ。栄華を誇った時期の再来を願って誇大妄想な
「夢」を見るだけで何の行動もしない連中を余所に、じわじわと忍び寄る新興勢
力によって、浅草の繁華街マップが書き換えられようとしているのをご存じです
か。
 突然姿を現し、地元零細商店を取りつぶす勢いで大繁盛している大型スーパー
マーケット。その隣で開店の準備をしている調剤薬局まで持つ大手薬局チェーン
店。過疎化した日暮里書店街を3年で商業一等地にしたと自負するニポカジなる
お店の進出。このお店の目標は、そのものズバリ、「江戸〜大正の商業一等地浅
草の復権に挑戦!」なのです。
 そんな連中の進出を歓迎することをしない浅草の連中ですが、一般消費者にと
って安くて良い物を提供してくれるお店はどんどん歓迎されているのです。その
そのうちに浅草に現れたこれら新興勢力の連合によって、「新浅草」商店街が構
築されていくのかも知れませんね。「新浅草商店連合会」なんてのも・・・。
 いつの時代も、人間は新しいものに心をときめかせるのです。その証拠に、浅
草が栄えたきっかけを作ったといわれるのが、“倒壊すると危険だ”との地元の
反対を押し切ってまでも建設に踏み切った「浅草十二階」が有ったからこそ。今
、衰退しけかる浅草にこそ新興勢力による挑戦が必用なのかも知れません。
 地元商店街の方々、過去の繁栄を再び、そんな「夢」を見ているだけで良いの
ですか・・・。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数50枚