平成16年(2004)10月26日 火曜日

- 浅草の発展 -

 なんとなく雨が降り出しそうなお天気です。新潟の被災地ではすでに雨が降り
出しています。このところの寒さも加わって避難されている方々の健康が気にな
ります。報道では被災地の惨状と被災者の状況だけが流れていますが、現在大勢
の方々が県内全体で復旧工事を行っております。台東区の電気工事関係の会社も
応援に出かけました。もう少し頑張ってくださいね。
 あほまろも少しですが義援金を寄付をさせていただきました。また共同募金会
では、ボランティアの方も募集しております。皆様も支援を協力しましょうね。
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 日本が誇る大喜劇王、エノケンこと榎本健一さんの生誕百周年を記念して、今
年は各地で様々なイベントが開催されております。もちろんここ浅草はエノケン
誕生の地とあって、今月は「エノケン生誕100年祭」、「エノケン生誕100年
祭記念映画祭」、が行われました。また、江戸東京博物館では、特別展示「エノ
ケンとレビューの時代」が12月21日まで開催されております。
 いち早く関東大震災から立ち上がった浅草興業街、その中でも一番の人気劇団
、根岸歌劇団の歌手柳田貞一に入門を許されたエノケン、やがてこの歌劇団のコ
ーラスボーイに採用されたのが「エノケン」の役者人生の出発点でした。
 浅草公園水族館のレビュー「カジノ・フォーリー」や、オペラ館の「ピエル・
ブリアント」など今も浅草の興業史のトップを飾っているのです。
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 “モモちゃん元気になって良かったですね”、テレビの企画会社に勤務すると
いうお姉さんが声をかけてきました。現在浅草を中心にエノケン生誕100年祭
のイベントを放送するためにエノケンが活躍した場所を色々回っているのだそう
です。そんな過程で今年の春にあほまろのホームページを見付けて浅草取材の参
考にしているのだそうです。
 あほまろはお逢いするのが始めてなのですが、彼女たち撮影スタッフは、先月
浅草寺周辺をロケ中に我々を発見し、まだ包帯を巻いているモモちゃんと散歩す
るあほまろの姿を撮影しているそうです。エノケンさんの特集にそんな映像が必
用なのでしょうかね、放送の日程が決まったら教えてくれるといってましたが、
知らないうちに撮られた映像、きっとみっともない姿で写ってるのでしょうね。
お姉さん、過去のエノケンより、まだ生きているあほまろの方が気になるのだそ
うですよ。あたしゃ、エノケンのようなお笑い芸人じゃ無いぜ!
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 現在、あほまろは古絵葉書と資料から浅草の街の変貌を調べています。特に、
六区興業街の変貌はめまぐるしいものがあります。当時は今の原宿や渋谷のよう
に「若者の流行は浅草から始まる」とも言われた華やかな街でした。しかし、趣
味の多様化とテレビの発達によって、大衆の娯楽が映画・演劇から離れて行くと
同時に浅草はかっての魅力を失うことになっていくのです。
 寂しくなると当然のよに、六区再開発の計画が検討され始めるのです。そんな
中、昭和61年8月に松竹演芸場の跡地に「ロックス」が完成し、浅草松竹跡地
などに「ミニサッカーコート」「ロックス2」「ロックス3」等がオープンした
のですが、「浅草を若者の集まる町にしよう」との思惑はなかなか身を結ばない
のが現状です。
 そして、来年の8月15日には待望の「筑波エキスプレス」が浅草に入ってき
ます。これこそ浅草復活のチャンスとばかりにあちこちで記念イベントの構想が
持ち上がっているのですが、お互いの利害関係で一つにまとまることなくバラバ
ラに同じようなイベントを考えているのです。
 これが浅草の悪い所であり、また良いところなのかも知れませんね。歴史をひ
もといてみても、六区興業街の利害関係と欲の張り合いが浅草の発展を促したの
ですから。明治のはじめ、鉄道を拒否したために発展した浅草。少々寂れてきた
今になって、新しい鉄道を誘致して再び発展を夢見る浅草。第三セクターの鉄道
といっても、旧国鉄JRのようなもの。これで大衆演芸のメッカ浅草の再生が期
待できるとは・・・。
 これも歴史の1ページとして、語り継がれることになるのでしょうね。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数41枚