平成16年(2004)8月19日 木曜日

- お線香 -

 モモちゃんを浅草に残して札幌に来ています。午前4時半の札幌はすでに日が
昇り浅草の6時ころって感じですよ。この時期の沖縄は7時を過ぎないと日が昇
らなかったはず、まだ薄暗い中通勤通学のみなさんがバス停に並んでいたのを思
い出します。日本にも時差が必要なのかも知れませんね。
 札幌に来ると毎朝豊平川沿いを散歩します。どうしても朝の散歩をしなければ
一日が始まらない癖がついてしまったのでしょうな。朝から愛犬家たちが犬と戯
れているのを見ていると、どうしても頭の中はモモちゃんのことばっかりなんで
す。きっと、今頃は寂しがっているんだろうな・・・。
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 金メダルラッシュで盛り上がっているアテネオリンピック、こちらも時差の関
係で応援したい競技が総て真夜中になってしまい、朝になってネットのニュース
で結果を知るのでしたが、昨夜は初めて深夜の中継を観ることができました。
 卓球の愛ちゃんが負けてしまったり、柔道でまたまた金メダルを獲得したり、
やっぱり生の興奮は楽しいものですね。
 母のお通夜で、お線香の煙を絶やさないように交代で寝ずの番をしながらの見
物ですが、ついつい競技に見入ってしまって肝心のお線香も絶え気味でしたよ。
しかし、驚いたことに最近はとっても便利なお線香が登場したようです。昔から
有ったのかも知れませんが、あほまろは初めて見ました。細い蚊取り線香のよう
な格好をしたもので、専用の器具に釣りしておくと一個で5時間以上も火を保っ
ているんです。あほまろ好みの軽薄短小なんですね。
 でも、それは単なるバックアップ。本物のお線香は無事に朝まで絶やすことな
く燃え続けておりました。やはり、お通夜はものぐさをしちゃいけないのですよ
ね。
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 あほまろの母は大正10年生まれの85歳で人生を終えたのです。この母あっ
て、この子あり。母は見よう見まねで油絵を嗜んでおりました。自己流の画法で
あっても、30年も続けているとあちこちのコンテストで賞を貰ったりと腕はそ
こそこ上達していました。
 生前、母は、私が死んだらみっともない写真なんて飾って欲しくないと、自分
の仏前に備える自画像を描いていたのです。出来上がった絵は母に似てはいます
がちょっと良く書きすぎ、こんなの見た人は老後の女優ですかって聞かれるんじ
ゃないか、なんて馬鹿にしていたのですが、葬儀の最中この絵をじ〜っと見てい
ると、母の癖を思い出して笑ってしまいそうでした。
 そう、なんとなく違和感を覚えるのは、母はいつも髪をとかしていました。人
の前でも食事中でもお構いなしにどこでもとかすのです。昔、床屋をやっていた
からなのでしょうか、あほまろはそんな態度が嫌で何度も注意したのを思いだし
ます。母は普通に右利きだったので、必ず右から櫛を入れるのでヘアースタイル
はいつも右上がり。それが、この絵では左上がりになっているじゃないですか。
 そうか、鏡を見ながら書いたんですね。普通自画像ってのは写真を見ながら書
くものじゃないかな・・・。パソコンで書いたら簡単に反転できるのですけど、
油絵じゃそれも出来ず、葬儀が終わったら写真を撮って反転してみようかな。き
っと、生前の母親そっくりの絵になっているのかも。
 この母あってのこのあほまろ、軽薄短小の性格は母譲りだったのですね。
 さて、今日は初めて霊柩車の助手席に乗ることが出来るぞ。次に乗るのは、後
ろの社の中なのかな・・・。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数22枚