平成16年(2004)4月11日 日曜日
- りんご公園 -

 休養で、じゃなくって急用で女房と一緒に札幌に居ます。モモちゃんは息子が
散歩に連れていってくれてるはずですが、ちょっと心配です。モモちゃんって、
あほまろ以外の人間が散歩に連れていくと、なかなか用を足してくれない性格な
のです。きっと、ささやかな抵抗を表しているのかな。
 札幌は雪もほとんど無くなっていますが、広場や路地にはまだ少し残っていま
す。モモちゃんが居ない朝の散歩でしたが、女房を曳きながら、昔住んでいたア
パート界隈を懐かしみましたよ。
 東京に越して23年になるでしょうか、あほまろが当時住んでいたのは、平岸
の「りんご公園ハイツ」というかわいい名前のマンションでした。裏にりんご公
園ってのがあり、子供たちは、ベランダから友達が遊んでいるのを見つけては飛
び出していったのです。まるで、自分の庭のように楽しんでいたのです。この、
「リンゴ公園ハイツ」も20年以上の歳月を感じさせないそのままの姿で残って
います。今にも玄関から幼稚園に通う子供たちが元気に飛び出してきそうな、ま
るでタイムスリップでもしたような不思議な雰囲気を感じてしまいました。女房
もじぃ〜っと玄関を見つめています。その瞬間、ふぅっと顔を見合わせる現実。
お互いに年をとったね・・・。
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 電信柱に不動産屋の広告が貼られています。4LDK70000円駐車場付。
9畳4畳37000円地下鉄まで5分。等々、あらためて札幌の家賃を見てみる
と、その安さに驚かされますね。あほまろが「りんご公園ハイツ」に住んでいた
頃の家賃は確か5万円弱だったようです。それに駐車場代が2〜3千円だったか
な。それでも、貧乏生活の家計にはかなり高価な家賃だったような記憶も蘇って
きます。そうです、当時の若い連中のアパートは6畳一間2〜3千円ってところ
が有りましたね。それに比べれば5万円の家賃は贅沢そのものだったのです。当
時は、隣の家のご主人がハム会社に勤めていたので、しょっちゅう大量のハム類
を持ってくるのです。そんな時は、若い連中を招いてハムの焼き肉など、安っぽ
い料理のホームパーティで盛り上がってましたね。そんなあほまろ塾出身の連中
もみんな、今では立派な経営者となって仕事を続けているのですよ。
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 懐かしい街を歩くと、懐かしい物にも出会います。とある喫茶店の前に、大型
ゴミが積まれています。その中に、なんと昔の小学校で使われていた学習机が有
るじゃないですか。戦前から戦後にかけて使われた学習机のようです。まだしっ
かりとしています。机の上にはナイフで刻んだ名前や落書きも古いまま残ってい
るのです。“欲しいなぁ〜”。机の裏には、ナショナルの古いカラーテレビや、
年代物の炊飯器、学校で使っていたような石炭ストーブなども捨てられていす。
こんなの、ヤフーオークションに出すと結構良い値段で売れるかもね。あ〜、こ
れが東京だったら、タクシー代を払っても持って帰るのですけどね・・・。
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写真は、飛行機の窓から夕暮れに浮かぶ羊蹄山(蝦夷富士)の姿です。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数30枚