平成16年(2004)4月8日 木曜日
- 花まつり -

 “男心に秋の空”、周期的に変わる秋の空を移り気な男心にたとえられていわ
れてますね。小林一茶も、“恥ずかしや おれが心と 秋の空”と、自分の変わ
りやすい心を句に詠んでいます。でも、“女心は四月の空のごとし”と春は女心
を比喩する言葉もあるようですよ。突然変わる春の空に、しばしば女心がたとえ
られるのです。どっちが変わりやすいかというと、やっぱり春の方が秋より顕著
に天気が入れ替わっているようです。でも、“女心と秋の空”とも言われてもい
ますね。どっちにしても、春と秋の天気は人の心を優柔不断にさせる妖気を天か
ら降り注いでいるのかもしれません。
“Owner goggle to a king no solar.” これ解りますか?
 暖かくてあんなに良い天気だった昨日と打って変わり、雨で寒い朝を向かえま
した。ころころ変わる天気にはすっかり慣れっこになってしまいましたが、可愛
そうなのは桜の花たちです。なんだか、蛇の生殺しのような陽気で開いたり閉じ
たり。いつが満開だったのかも告げぬままに、雨でたたき落とされてしまったも
のも多かったようですね。
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 今日はお釈迦様の誕生日「仏生会」です。「花まつり」「潅仏会」ともいわれ
、全国の寺院では釈迦の立像に甘茶をそそぐ儀式が行なわれるのです。ここ浅草
寺でも、午後10時から雷門、宝蔵門、そして本堂内の三カ所に釈迦の立像を設
置し、甘茶で生誕をお祝いします。
 今朝の本堂内には、今日だけ掲げられる「誕生絵」の掛け軸が下げられており
ます。お釈迦さまは、今から2500年前ヒマラヤの麓カピラ国の太子として浄
飯大王(じょうぼんだいおう)、摩耶夫人(まやぶにん)夫婦のもとに、ルンビ
ニーの花園でお生まれになリました。
 名前を「シッダルタ」と名付けられ、産まれた瞬間立ち上がりルンビニーの花
園を三歩進み、右手で天を、左手で地を指し「天上天下唯我独尊(天にも地にも
われは一人)とおっしゃったとか。その時の格好が「花まつり」の立像となった
そうです。
 それにしても、キリストさんに比べて誕生日さえ知る人が少ないお釈迦さん。
毎年盛り上がりも欠けますが、こんな日こそ、寒い中肩を寄せあってのアツアツ
デートも良いけれど、春の花たちを愛でながらのお散歩デートの口実にお寺詣り
なんてのはいかがですか。今日は、全国どこのお寺でも「花まつり」が開催され
ていますよ。
『お釈迦様、お誕生日おめでとうございます。』
親愛なる仏教徒、あほまろより(合掌)
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 待ってました!健さん!!
 六区の古びた映画館の前に、古びた映画のポスターが貼られています。「日本
侠客伝」懐かしい映画ですね。この映画は、他の健サンのシリーズと違って、ヤ
クザが主人公になることが少なく、むしろ鳶とか炭鉱夫とか、市井に生きる粋で
いなせな男が主人公になることが多かったのを記憶しております。この雷門の血
斗では、たしか六区の創世記の芝居小屋を舞台に、一座の者の人情と笑いを守る
ために立ち上がった健さんと藤純子さん、“張った命に悔いはなし”なんて台詞
が有名でしたね。
 「浅草(エンコ)が俺を呼んだので、ドスを抱えてきたんだぜ」
 浅草を舞台に暴れる健さんと藤純子さん。映画が終わり外に出てくる人達の姿
が、男は健さん女は純子。みなさんそんな姿になっていたっけ。喋り方もね。
 浅草を舞台にした任侠映画はたくさんありますが、あほまろが一番好きな映画
は、なんといっても「緋牡丹博徒」の「お龍参上」ですね。大正初期の六区の雰
囲気を大がかりなセットで再現し、特に当時の十二階はみごとでした。最後に、
十二階の中での決闘シーンの見事な演出は、その後の任侠映画の見本ともなった
名作でした。お龍さんの登場に会場から声が飛ぶ。拍手が上がる。これが映画館
で映画を観ることだったってことを思い出させてくれる映画でもあるのです。
 最近は、過去の映画のほとんどがビデオやDVDで販売されており、あほまろ
も早速「緋牡丹博徒」シリーズなどを買って楽しんでおります。任侠映画を見終
えた余韻、家の中を歩くのにも肩が怒っているような・・・。
 古くて良かった時代の浅草。現実は幻となってしまいましたが、映画の中だけ
でも永遠に残っていて欲しいですね。
♪娘〜ざかりを〜渡世に賭けて〜・・・
 モモちゃんと一緒に、怒り肩で鼻歌まじりの散歩でした。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数33枚