平成16年(2004)2月28日 土曜日
- 振興と衰退 -

 「松本被告に命を奪われた人々は誰1人として落ち度はなく、人生を無残に奪
われた無念さは言葉では表現できようはずもない。遺族の精神的苦痛は、わずか
でも和らげることすらできない」、昨日は松本智津夫の死刑判決のニュースが一
日中テレビで流れていましたね。
 とっくに崩壊してしまったと思っていたオーム真理教もまだ数千名の信者を抱
えて存続していたってことにも改めて驚くのですが、宗教ってのは自然発生的に
できたものじゃなく、総てが新興宗教から始まったもの、今はメジャーで誰もが
疑っていない仏教やキリスト教だって、歴史的にみると設立当時は他の宗教を否
定した共通点として、開祖が決まって神の啓示を受けたことから真の神は我々だ
けであると始まるのです。どの程度時間が経てば、また広がりを持てば“新興”
がとれるかは、一概に言えないようです。
 「オーム真理教」の事件を考えると、現状の勢力を維持するため、たえず信者
の気をひくパフォーマンスを演じ続けなければなりません。問題の毒ガス騒動だ
って、そういったパフォーマンスの延長線上にあったのでしょう。また、脱会し
ようとする人たちを無理矢理連れ戻したり、教団の施設に閉じこめて逃げ出さな
いようしたりの行動は信者の数を確保するためだけ。それでも止めていく人たち
を見込んで新たな信者を捜し続けなければならない。新興宗教が振興で無くなる
ためには並大抵の努力では成し得ないことなのでしょう。
 神道系の新興宗教として天保9年に立教された「天理教」や、安政6年の「金
光教」などはすでに“振興”の文字も薄れているようです。現在宗教法人として
登録されている宗教はおよそ3000を超えているようで、誰もが“神の啓示を
受けた”って閃いたら宗教法人を設立できるのですが・・・・。
 どっかの教祖様のように、孟子、孔子様や聖徳太子様から死んだ婆ちゃんまで
教祖様の口を借りて現れてくれるすばらしい閃きが訪れたら「あほまろ教」の開
祖となって、第五代将軍綱吉のように「お犬さま」を大切にしましょうなんてこ
と・・・、考えるのってアホですね。
 あほまろとモモちゃんには、神の啓示やお告げが無くても、不思議な閃きなん
か無くても、毎日散歩の途中で神社と観音様をお詣りすることによって、何か救
われた気持ちになるだけで充分なのですよ。考えてみると、これらの宗教だって
始めは新興宗教だったはず、それが時間の流れの中で自然と人々の生活の中にと
け込んできたのでしょう。
 “振興”なんてとっくに取れてしまった浅草寺では、桜茶屋の建設が始まりま
した。春の桜茶屋と秋の菊茶屋では、季節の花を見ながら抹茶をいただける風流
なお茶屋さんなのです。これから満開になる桜見物のお帰りに味わってください
ね。肝心のあほまろは未だここでお茶なんて飲んだことないのです。だって、家
に帰ればただで飲めるのですから。それに境内には桜の木が無いし・・・。
 浅草公会堂の前の手形の広場が綺麗になりました。一年間ですっかり色褪せて
しまっていた名前やサインの色も鮮やかに蘇り、新らしく仲間に向かえる手形を
待っているのです。
 今年から仲間に入るのは、大村 崑(俳優)・茂山千作(能楽狂言師)・舟木
一夫(歌手)・若山胤雄(江戸神楽師)・桂 歌丸(落語家)の5名に決定され
ました。手形顕彰式は3月20日(土)です。でも、一昨日からすでに新しい手
形は埋め込まれてますけどね。
 かつては映画館が密集していたことで有名だった浅草ロックに今も残る古びた
映画館。上映する映画も当然古い映画なのです。毎日定番で上映されている高倉
健や寅さんに混じって、今回の手形を顕彰を記念して、大村崑や舟木一夫の懐か
しい映画も上映されるようです。ここの映画館も、いつまで営業を続けているの
でしょうね。
  「振興」に負けると「衰退」ってのが世の常なのでしょうかね。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数35枚