平成16年(2004)2月26日 木曜日
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 来月20日行われる浅草芸能大賞の授賞式と、同時に行われる手形顕彰式のた
めに、浅草公会堂に飾られた手形のお色直しが始まりました。この一年間風雨に
晒され、さんざん踏みつけられて色あせた手形の清掃と名前部分のペンキの塗り
替え作業なのです。5〜6名の作業員で行っているのですが、総ての塗り替えに
は二日間を要するようです。ここに飾られている254名の方々のお名前を改め
て見直すと、すでに他界された方が多くなったような。でも、このように毎年手
厚く管理修復されているので、顕彰された芸人さんたちはさぞかし満足している
でしょう。あほまろの目の前で、柳家小さん師匠の名前に色が入っていきます。
小さん師匠がお亡くなりになって、もう2年が過ぎるのですね・・・。
 来月10日には、ここで戦災59周年を記念した「東京大空襲資料展」が開催
されます。あの悲惨な戦争を人々の記憶から忘れさせないようにと続けている行
事ですが、語り継ぐ方々もどんどん少なくなってしまったようです。この機会に
、若い皆様も悲惨な戦争の事実を知り、二度と繰り返さないように祈りましょう
ね 。
 そんな今日は、226事件の日です。昭和11年の今日、陸軍の皇道派の青年
将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を
率いて首相官邸等を襲撃し、内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠
されたのです。
 今でもあの日の出来事は映像として残されており、それによると東京は大雪に
見舞われていたようです。あれから68年、同じ日の東京は春真っ盛りです。い
つものように冬物のコートを着て歩いているとうっすらと汗ばむくらいです。
 天気予報でも今年は例年に比べて2〜3週間早い春の陽気なんていっていまし
た。おかげで、早咲きの桜もどんどん咲き出しソメイヨシノの芽も潤んできたよ
うです。それに引き替えこれから真っ盛りになろうとしていた伝法院のお庭の白
梅が盛りを待たずに枯れつつあるのです。この陽気で寿命を縮められてしまった
白梅がちょっと寂しそうですね。
 情報戦争、現在の戦争はコンピュータによってコントロールされているといっ
ても過言じゃないのです。というかコンピュータが無ければ戦争に勝てないって
いった方が正しいのかも知れません。適地の様子は偵察衛星によって手に取るが
ごとく映し出され、超高性能なラジコンが搭載されたミサイルによって、ピンポ
イント攻撃も可能なのです。そんなイラク戦争の映像はまるでテレビゲームのよ
うでしたね。
 226事件の時の新聞を見ると、「情報時代」なんて文字も見えています。当
時まだコンピュータなんて無かった時代の“情報”っていったい何だったのでし
ょう。それは「ラジオ」によって“今からでも決して遅くはないから、直ちに抵
抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ”との投降を呼びかけたのでした。
 また、飛行機からは“下士官兵ニ告グ”のビラを撒いて帰順を勧め、周辺のビ
ルのアドバルーン作戦なんてのも有ったようです。これらを統合して「情報時代
」なんて表現になってしまったのでしょう。また、当時としては過去に経験した
ことのない画期的な方法で有ったようです。
 生前、柳家小さん師匠が高座でよく当時を思い出して話しておりました。師匠
も226事件に参加させられた兵隊のひとりだったそうです。始めてのクーデタ
ーで、指示する下士官も参加した兵隊たちも実際は何をやって良いのかも解らず
、暖もとれずにどんどん積もってくる雪の中でひたすら震えていたそうでした。
そんな中、外ではためくアドバルーンの文字を見ながら早い収束を願った等々、
当時を振り返った枕噺を今でも鮮明に覚えております。
 寒い雪の夜半、大蔵大臣高橋是清(たかはしこれきよ)の官邸に押し入った兵
士たち。寝ている高橋を起こして畳の上に正座させ、銃を突きつけたのでしたが
、犬養内閣の金輸出再禁止など大胆な財政政策をとった強者。若き下士官どもの
行動には、恐ろしさなんてのはおくびにも出さず、厳寒の中でも武士道の精神で
培ったのであろう堂々とした態度。今、殺害しようとしている連中の一筋の情け
であったのでしょう、銃を突きつけていた下士官のひとりが自分の外套を差し出
して、“高橋、これ着よ!”って言ったとか・・・・チャンチャン。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数42枚