平成16年(2004)2月22日 日曜日
- 話題の無い日は -

 2月は浅草の行事といえば、どこでも行われる節分会だけで、イベントが極端
に少ない月なのです。毎朝何かの変化を求めてモモちゃんとさまよい歩くあほま
ろにとっても話題不足の月です。そんな状況でも、街の至るところでは年度末の
予算消費のための工事だけが慌ただしく行われています。そんなの写しても絵に
成らないでしょうね。
 今朝はちょっと変わった写真をご覧にいれましょう。この塔は凌雲閣(通称十
二階)といって、明治23年10月に英国人ウィリアム・バルトンの設計で落成
した浅草のシンボルでした。高さは約60メートル、10階までは総レンガ造り
で、その上は木造で、世界各国の品物を売る店や休憩所があり、11.12には
望遠鏡が備えられ、東京が一望出来たのでした。また、8階までは日本初のエレ
ベーターも設置されていたのです。
 大正12年に、田山花袋の「浅草十二階の眺望」によると、
 十二階の上で見ると、左は伊豆の火山群とか富士、丹沢、多摩、甲信、上毛、
日光をぐるりと細かに指点することが出来る。第一に目に着くのが富士である。
東海の帝王、実際屹然として群を抜いている。その下にやや左に偏って、足柄群
山が見える。二子山、駒ヶ岳、神山、矢倉岳の右に飛離れているのもそれと指さ
される。箱根群山から左には天城火山群が横たわって、その連亘の末は碧い碧い
海になっている。天気の好い日には、大島の三原山が独り海中に煙りを吐いてい
るにが見える。
 このように、僅か60メートルの高さからの眺望を詳細に書いています。今で
は考えられない所まで見えていたのですね。もちろん距離は今も変わらないので
すが、スモッグとかの大気汚染の影響で眺望範囲は極端に狭くなってしまったの
でしょう。実際にこの本を裏付けようと、あほまろは晴天の東京タワーに登って
見聞を試みたのでしたが、200メートルの高さからでも、伊豆の火山群や天城
火山群なんて望むことなんて出来なかっ
たですよ。更にこの本には、
 上総の鹿野山が碧く浮き出すようになっているのも奇観である。鋸山はやや遠
いが、それでも全然見えないことはない・・・。
 大正時代の空気ってとっても済んでいたのでしょうね。なぜ突然「凌雲閣」の
話題になってしまったのかというと、昨夜は、いま依頼されている雑誌の原稿、
「明治大正期の絵はがきに見る浅草」のための調査をしていたのです。
 “そういえば!”、昨夜は突然思い出した「凌雲閣」の夜景。来月まで行われ
ている雷門前の並木通りのイルミネーションを思い出して写真を撮ってきました
。こうして並べて見ると、このイルミネーションって結構正確なスケールで出来
ているようです。
 大正12年9月1日の関東大震災で倒壊してしまった「凌雲閣」ですが、先の
田山花袋を始め、谷崎潤一郎、佐藤春夫、久保田万太郎、更にあの詩人の石川啄
木までも訪れた感想を今に残しておりま
す。
 「凌雲閣」が有った場所は、浅草千束町二丁目三十八番地。ひさご通りの「米
久」の裏辺りで、現在焼き肉の「幸楽」ってお店になっているところなのです。
話題の無い日は、こんな紹介でもしましょうかね。
 来月行われる「示現会」のポスターが貼り出されました。今年も昨年同様に、
駒形堂までのパレードを行うそうです。それじゃ、昨年の江戸開府400年記念
で特別行われる・・・、ってのはいったい何だったの?
 これが最初で最後・・・、なんて雑誌に書いてしまったあほまろの立場は?

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数34枚