平成16年(2004)1月13日 火曜日
- 中岡慎太郎 -
 モモちゃんとの散歩を二日間も休んでしまいましたね。昨夜我が家に帰った時
の喜び様の凄いこと。飛びついてきては、何度も何度もあほまろを確かめるよう
に顔を見上げて体の臭いを嗅いでいたのでした。
 とっても寒い雨の散歩になりました。そんな中でもモモちゃんは嬉しそうなの
です。やっぱり、モモちゃんにはあほまろが必要なのでしょうね。あほまろだっ
てモモちゃんが居るから健康を保っているのかも知れないのですから。
 万延元年(1860)1月13日は、江戸幕府の軍艦「咸臨丸」が日米修好通
商条約を批准するため、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎らを乗せて品川沖をサ
ンフランシスコへ出航した記念日です。
 今年はNHKの大河ドラマが「新撰組」とあって、空前の幕末ブームになると
予想している評論家も居るようです。今となっては、尊皇だ幕臣だどと派閥をこ
だわる人は少ないようですが、あほまろはどっちかというと倒幕派。それも、坂
本龍馬・中岡慎太郎のファンといった方が正しいのでしょう。
 そんな訳で、土佐(高知県)が好きになってしまったのです。龍馬と慎太郎の
軌跡を訪ね、今まで数え切れないほど訪れている場所でもあるのです。
 昨日は久しぶりに、室戸岬に立つ、中岡慎太郎の銅像を見に行ってきました。
さすがに南国土佐の異名を持つ高知県だけあって、一月とは思えない暖かさなの
です。太平洋上から我々をジリジリ照らす強烈な太陽光線で、車内はクーラーを
入れるほど。狭い日本でも東京都は大違いなのです。きっと、こんな気候風土で
生まれ育ったことが、雄大な構想を培えたのでしょうね。
 脱藩して藩の庇護を離れ倒幕活動に奔走した中岡慎太郎・坂本龍馬をはじめ、
土佐脱藩浪士の多くは志半ばで非業に倒れましたが、その活躍は、明治維新後の
日本国憲法にも大きく関与したのです。
 榎本武揚を中心にした幕臣の新撰組佐幕人たちの活躍も立派だったことも歪め
ない事実。でも、NHKの大河ドラマでおちゃらけに持て囃されてしまうっての
もちょっと考え物ですね。これで新撰組の活躍を始めて知った若者達に与えてし
まう、間違った歴史感は後の世にまで影響を及ぼすような・・・。
 たとえば、土佐藩士で一番の人気者は「坂本龍馬」ですね。彼の伝記は漫画に
までなって、その名前を知らない人が居ないほど。でも、龍馬の知恵袋であった
中岡慎太郎に関しては知る人も少ないようです。
 これも、司馬遼太郎のヒット作「竜馬がゆく」の功績が大なのです。それまで
の坂本龍馬と中岡慎太郎の存在は、歴史研究家だけに知られていた人物だったよ
うな。「海援隊の坂本龍馬」、「陸援隊の中岡慎太郎」この両人の知恵が、日本
の夜明けをもたらしたと熱烈に信じているのです。中岡慎太郎の生き様に敬意を
表して、あほまろの息子の名前にも頂いてしまったほどなのです。
 京都守護職で、佐幕人新撰組を取り仕切っていた會津藩主「松平容保(かたも
り)。彼らも正義を貫いていることを信じ、次第にその数を増やしていき統制も
とれていたのです。元治元年の池田屋事件やそれに続く禁門の変では、新選組は
確実に會津藩の配下であり、強力な軍事力の一端を担っていました。
 いつ離れるか分からない薩摩藩の権謀術数策とは根本から違っていたことも否
定しがたい事実なのですけど、NHKの大河ドラマの内容を読んでみると、かな
り事実とかけ離れているようなストーリー展開。ちょっと嫌な予感も・・・。
 あほまろは薩長の敵方、會津藩主「松平容保」から数えて四代目の、世が世な
らお姫様とも知り合いなのです。會津に旅行した時には、お殿様からお酒の差し
入れまで貰ってしまったのですよ。それがど〜ってことは無いのですが・・・。
今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数22枚