2003年10月15日 水曜日


今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数34枚

浅草学

 浅草寺境内では、明日から始まる「大
菊花展」の菊が運び込まれています。こ
の菊花展は、昭和27年、戦争の焼け野
原でも力強く咲いている菊の花を観音様
に捧げたのが発端で、浅草菊花会を発足
させたのです。
 今年で創立50周年。今年は、名物奉
納庭に五重塔と本堂を菊花で表現し、江
戸開府400年を祝福するそうです。最
初は花の無い状態ですが、徐々に開いて
いく菊花が楽しみです。
 “浅草十二階ってどの辺に有ったので
すか?”
 ゼミで、大正時代の東京を調べている
という女子大生です。それはそれは、あ
ほまろの得意とするところ。石川啄木を
始め有名人も楽しんだという、さっそく
浅草十二階が有った場所にご案内してあ
げました。
 観音裏から、ちょっと寂れた雰囲気の
裏路地。花やしきの鉄塔と、風呂屋の煙
突が妙に辺りに調和している風景を見な
がら、浅草十二階はおよそ20メートル
と言われているので、あの煙突くらいの
高さだったのでしょうね。ひさご通りを
抜け、国際通りの手前の焼き肉屋「幸楽
」。まさに、ここが浅草十二階が立って
いた場所。20メートルといえば、僅か
五階建てのビルほどです。でも、当時は
二階建て以上の建物が無かった時代。こ
こから、関東一円が見渡せたのですよ。
 今となっては、知る者も居なくなって
しまった往年の浅草。しかし、学問とし
て捉えてくれる若い連中も多いのですね
。あほまろが持っている資料のコピーを
送ってあげる約束をして別れたのです。
彼女たちはこれから吉原に向かうんです
って。
 “♪ 僕の名前を知ってるかいぃ、朝
刊太郎というんだよぉ〜 ”
 誰が歌っていたか忘れましたが、新聞
少年を讃える歌が流行った時期もありま
した。ネットで今日の記念日を見ていた
らついつい口ずさんでしまったのです。
 今日は、日本新聞協会が昭和37年に
制定した「新聞少年の日」なのです。今
日からの新聞週間内の日曜日は、新聞の
宅配制度の基盤となる新聞を配達する人
々の労に感謝する日とされております。
 かっての新聞少年のイメージは、肩か
ら襷のような袋を下げ、その中に重そう
な新聞の束を入れて配っていたような・
・・。しかし、当時と全く変わることの
ない新聞ですが、今は自転車の荷台の箱
に入れて楽そうに配っています。考えて
みると、当時も自転車は有ったはず、な
ぜ新聞少年だけがあのような格好で走っ
ていたのでしょうね。そんな謎、あほま
ろは真剣に考えてしまいました。
 “おとっつぁん、棒が新聞配達をして
学費を稼ぐから、ゆっくり養生して早く
  元気になってちょうだいね”
 “おとっつぁん、お粥ができたよ”
 “いつもいつも苦労をかけて、すまな
いね、こんな時にオッカサンが居てくれ
  たらなぁ〜”
 “おとっつぁん、それは言わない約束
だったでしょ”
 お呼びでない?こりゃまた失礼しまし
た〜、なんてシャボン玉ホリディのよう
な光景も浮かんでくるのが、「新聞少年
」って響きです。
 最近都内で新聞配達をしている人に中
国人が多くなったそうです。あほまろの
家に配達する人達もみんな中国人なので
す。昔のように生活の足しとして、早朝
から辛い新聞配達なんかで頑張らなくて
も、他に歩合の良いアルバイトが有るの
でしょうかね。「新聞少年の日」なんて
言葉もそのうちに消えて無くなってしま
うかもね。女の子も居た「新聞少年」時
代が懐かしく想い出しました。
 世の中レトロブーム。特に昭和30年
代の駄菓子屋さんや、月光仮面など往年
のグッズが若者に受けています。日本新
聞協会もブームに肖って、あの襷のよう
な新聞入れと「新聞少年」復活を考えて
みませんか。