2003年10月5日 日曜日


今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数37枚

ご当地物

 どんよりと曇っていますが、所々に青
空も覗いています。我が家から見る西の
方角には、うっすらと富士山も見えてい
ます。そのお姿があまりハッキリしない
ので、頂上に雪を頂いているかどうかは
解りませんが、“9月の初めに初冠雪”
なんて記事を読んだことがあります。き
っと、綺麗な冠雪なのでしょうね。昨年
の10月は、毎日のように富士山を望む
ことgできたので、今年もこれからが楽
しみです。
 先日、とある方より、“日記に掲載し
ているこの富士山の写真は、何ミリのレ
ンズで撮っているのですか?”とのご質
問を頂きました。この写真は、あほまろ
が毎日持って歩いているデジカメの最望
遠で撮ったものを、縮小しないで富士山
の部分を切り取っただけなのです。オリ
ジナルの画像は、2560x1920と
大きな画像ですが、富士山の部分(28
0x200)だけを頂いたものなのです
よ。ネットで公開するのですから、特殊
なレンズを使わなくっても、これで充分
なのです。この光景をいつまで見ること
ができるのでしょうね。
 昨日、宝蔵門の大提灯が懸けられたの
ですが、一日遅れの献架式が行われるよ
うで、白い布に覆われております。雷門
の時も同じでしたが、式が終わるまでは
、保護用の網が無い状態。大提灯は、目
も覚めるほどの鮮やかさなのです。
 浅草寺に4個有る大提灯。二天門を除
き、総てが京都の提灯屋さんが造ってい
るのです。
 先日、本屋さんで、浅草の観光ガイド
ブックを立ち読みしていたら、大提灯が
無い雷門が写っており、“10年ごとに
新装される大提灯は、江戸下町に代々続
く提灯職人によって造り続かれておらま
す・・・”、なんて説明が書かれていま
した。
 なんとなく、提灯といえば江戸の風情
を思い浮かべるように、誰もが信じてし
まいそうな記事ですが、大提灯の下には
、ちゃんと制作者の名前が書かれている
んです。ちゃんと見なくっちゃね。なぜ
京都なのかは解りませんが、雷門は関西
の松下電気が寄贈したので、地元で造っ
て持ってきたのが最初なのかもしれませ
んね。その出来があまりに良かったので
、その後の注文も京都になったのかも。
 昔、葛飾区の友人の家でも提灯を造っ
ていました。全国のおみやげ屋で売って
いるミニ提灯です。問屋から来る注文に
従って造っているのですが、「網走番外
地」とか、「安芸の宮島」など、地方の
物が多かったのです。中には、グアムの
提灯も有りましたよ。我々の同級生が、
学生結婚をして、新婚旅行のおみやげに
「網走番外地」の提灯を持ってきたので
す。あの時は、二人で大笑いをしたのを
思い出します。最も、「網走番外地」が
流行った、昭和40年代の初頭の話です
がね。
 今でも、観光地には同じようなおみや
げ物が並んでいます。ここ浅草の仲見世
に並んでいるおみやげを注意して見ると
、「MADE IN CHINA」が多
いようです。それを、中国人観光客が物
色している光景を見るたびに、あの「網
走番外地」を思い出すのですよ。
 江戸時代から有名な「浅草海苔」。勿
論、浅草には海が無いので昔から海苔は
採れません。大森の海苔業者が、江戸で
一番人が集まる浅草に目を付け、商標と
して「浅草」を冠したのだそうです。江
戸時代の笑い話に、浅草の町人が伊勢参
りの旅に出かけた時のお話。最初の宿の
大森で出会った飯盛り女にぞっこん。お
みやげに用意した「浅草海苔」を全部あ
げてしまったのです。飯盛り女は海苔が
大好物と、たいそう喜んだので、男は旅
を取りやめ、その後毎日のように、「浅
草海苔」持参で大森の飯盛り女に逢いに
行った・・・。なんて話も残っています
。女を介して堂々巡りの「浅草海苔」だ
ったのでしょうね。大森だけに、女の飯
盛りも大盛りだったんでしょうかね。
 雷門も宝蔵門も浅草にしか有りません
。もちろんそこに架かっている大提灯も
ここだけ。何処で造られても、見ること
が出来るのは、浅草寺だけだってことで
、よしとしまようね。