2003年9月15日 月曜日
敬老の日


今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数47枚

お爺ちゃん

 敬老の日は、老人をうやまう日です。
しかし、いったい何歳から老人というの
でしょうか。また、うやまうとは、相手
を尊んで礼をつくして尊敬するこですが
、今日だけで良いのでしょうか・・・。
 いつもですが、あほまろは、記念日の
存在に屁理屈を言いたくなるんですよ。
毎朝、ごく普通に、当たり前のように近
所の老人たちと挨拶を交わしています。
今朝は敬老の日なので、タバコ屋のおじ
さんには、特に丁重な言葉を選んでの挨
拶をしてみました。
 “おや、どうしちゃったんだい、別人
のような挨拶だね”
 “今日は、敬老の日なので、うやまっ
た挨拶をしてみたのですよ”
 “冗談じゃ無いよ、私しゃまだ老人と
は言われたくないね”
あほまろは、70歳代を老人と思ったの
が間違っているんでしょうかね。老人と
いう文字から感じるイメージは、“老い
た人”。腰が曲り、呂律も回らないボケ
老人を連想させてしまうのですね。
 そんなボケ老人を集めて、くだらない
質問で低俗な笑いを楽しんでいる、テレ
ビのバラエティ番組でさえ、老人とは言
わずに、“ご長寿・・・”と、うやまっ
ているように、「敬老の日」を「ご長寿
の日」なんて表現に変えた方が誤解を招
かず、タバコ屋のおじさんにも、素直に
受け取って貰えたんじゃないでしょうか
ね。
 敬老の日を祝う、バザールの準備をし
ている浅草寺境内。バザールの始まりを
待ちながら遊んでいる子供たちに聞いて
みました。
 “老人って誰のこと?”
 “お爺ちゃんとお婆ちゃん。当たり前
でしょ”
 “君のお爺ちゃんは幾つなの?”
 “幾つかな・・・、あそこでジュース
運んでるのがお爺ちゃんだよ”
 バザールの会場作りをしているお爺ち
ゃん。どう見ても、あほまろより若い感
じ。ちょっとショックですね。子供たち
から見ると、老人=お爺ちゃん、お婆ち
ゃん。っていうことは、40代でも老人
と言われる人が存在することに成るので
しょうかね。あほまろには、孫なんての
が居ないんで、老人では無いのです。
 でも、“老人”ってイメージは、なぜ
か“死”に直結しているイメージが嫌で
すね。死後、天国にあこがれる、“お爺
さんの忘れもの”って童話のページを見
付けました。敬老の日の記念に、お勧め
ですよ。
 大正14年12月30日、日本で最初
の地下鉄が上野〜浅草2.2Km間に開
通しました。この記念すべき日に地下鉄
に乗ろうと、全国から集まった乗客は十
万人もいたそうです。
 これを機に、地下鉄浅草駅には、日本
最初の地下商店街も完成。閑散とする地
上とは対照的に、地下鉄利用者で混雑す
る地下街の写真が残っています。
 営団浅草駅に通じる地下街。今も、当
時と全く同じ状態で残っているのを御存
知ですか。勿論、お店や内装は変わって
しまいましたが、同じ空間で有ることだ
けは確かです。日中でもほとんど人通り
の無いこの地下街。ホームレスの溜まり
場となってしまって、小便の臭いだけが
漂っています。しかし、当時の壁を覆っ
てしまった不粋な鉄板の壁の隙間からは
、当時の石の柱やタイル貼りの壁が見え
ているのです。
 あと2年で、浅草に新しい駅が出来る
ことだけが話題になっている昨今ですが
、忘れられてしまった、日本最初の地下
鉄に繋がる、日本最初の地下街。もう一
度見直して欲しいですね。
 お台場では、レトロな昭和のイメージ
に群がる若者。浅草には、本物の昭和の
レトロがまだ残っているのですよ。新し
く作り直す訳じゃなし、不粋な鉄板を剥
がすだけでも、戦災に耐え抜いた、立派
な記念物を再現できるのです。
 老人をうやまう日。今の繁栄を築きあ
げた老骨にも目を向けてみましょう。
(注:この下の数字は毎日確実に減って
いきますが、他意はありません。単なる
メモと思ってください。)