2003年7月29日 火曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数19枚
M34

盆踊り

 またどんよりと曇った梅雨空に戻って
しまいました。もうすぐ7月も終わって
しまうっていうのに、まだ梅雨は明けな
いようです。
 梅雨が明けるってのは、どのような状
態をいうのでしょう。調べてみると「太
平洋高気圧がしだいに勢力を強め梅雨前
線が北上すると梅雨が明けるが、南にあ
る前線がしだいに弱まって明けることも
ある。雷雨を伴いながら前線が通過し、
太平洋高気圧に覆われるようになると梅
雨は明ける。梅雨明け後は夏型の天気が
長続きすることが多い」。
 そんな説明が書かれていますが、難し
くてピンと来ない説明ですね。梅雨が明
けたら、毎日が夏らしく良い天気が続く
って説明の方が素人受けするのかもね。
 さて、とっくに盂蘭盆会は終わってし
まいましたが、浅草でも盆踊りが開始さ
れます。盆踊りとは、祖先の供養を目的
とする宗教行事から始まったそうですが
、娯楽の少なかった時代、宗教行事とは
関係なく、若者がその当時流行っていた
歌に振りをつけ、扇子や手拭いなどの小
道具をもって踊り始めたのが始まりとい
われております。
 当時は、今の若者の踊りのように、そ
れが時代の先端だったのかもしれないで
すね。たぶん、当時のお年寄りたちは毛
嫌いしたのでしょう。しかし長く続けて
いる間に、夏の夜には無くてはならない
ビックイベントとして日本文化に定着し
てきたのではないでしょうか。
東京の盆踊りの定番は、オットチャン
もオッカチャンも、元気だして、元気だ
して・・・・、「東京音頭」ですね。で
も、ここ浅草ではなぜか、国定忠治や五
郎正宗、鈴木主人(もんど)などが登場
する群馬県の八木節が踊られるのです。
 八木節は、江戸時代に例幣使街道にあ
たってた旧八木宿でおこなわれていた盆
踊りで、江戸時代の五大流行唄の筆頭と
言われた「新保広大寺節」が原型となっ
て、明治の始めに創られた音頭です。
 「♪ アアー、さても一座の皆様方よ
、わしのようなる三角野郎が、四角四面
の櫓の上で、音頭とるとははばかりなが
ら、しばし御免を蒙りまして、何か一言
読み上げまする、文句違いや仮名間違い
は、平にその儀はお許しなされ、許しな
されば文句にかかるオーイサネ・・・・
♪」
 今年の盆踊りは、花川戸公園で、8月
2日〜3日の両日午後7時より開始され
ます。参加者は、八木節のために、てぬ
ぐいをお忘れ無くと書かれていますよ。
 難しい踊りでは無いのですが、盆踊り
のために踊りの練習日も設けられていた
ようですが、こちらはすでに終わってし
まいましたけどね。
 戦前戦後の浅草といえば、まだ華やか
だった頃の木馬館で毎日開催されていた
「安木節」をイメージする方も多いでし
ょう。当時は浅草が、ドジョウすくいの
「安木節」の本場であるかのように知れ
渡っていたのです。そんな木馬館の安木
節興行も、六区の賑わいが失せしまった
、昭和52年の6月でその幕を閉じたの
でした。
 浅草で、他県の「八木節」を取り入れ
るよりも、「安木節」の方が歴史的に見
ても浅草らしいと思うのは、あほまろだ
けでは無いはずです。ザルや鼻に詰める
割り箸など、小道具は多くなりますけど
ね。
(注:この下の数字は毎日確実に減って
いきますが、他意はありません。単なる
メモと思ってください。)