2003年6月10日 火曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数32枚

時の記念日

 今頃、増上寺さんの時の鐘が鳴らされ
ているのだろうな、時計は5時半を指し
ています。外は、今にも雨が降り出しそ
うな天気。降り出す前に散歩を済ませま
しょうね。
 浅草寺の時の鐘は午前6時。ここでは
捨て鐘は無く、ちょうど6回打たれるの
です。弁天山の鐘楼から、鐘を打ち終え
たお坊さんが、ひっそりと静まりかえっ
た境内を歩いて来ます。ハト達は、お坊
さんには恐れを感じないのか、まだ起き
る時間じゃないのか、逃げようともせず
にその場に佇んでいます。
 そういえば、ハトってのはよく発達し
た帰巣性と、時刻を知る能力を持ってい
る鳥なんです。その能力を使って、交通
不便な土地からの通信に伝書鳩なんての
が実用されていた時期も有りました。そ
れより、ハトの能力をコミカルに活用し
たハト時計がお馴染みですね。鳩時計は
、19世紀中頃、ドイツのアントン・シ
ュナイダー社が発明したそうです。
 今日は時の記念日です。日本書紀によ
ると、斉明天皇の6年(660)、時の
皇太子・天智天皇が漏刻を作り、時を民
に知らしめた、と記録されています。こ
れが、我が国で公に時刻制度が始まった
最初と言われております。この日が、4
月25日。これを太陽暦に直すと6月1
0日になるので、今日を、大正9年に時
の記念日と制定されたそうです。
 天智天皇の時代に、漏刻の水時計の管
理をしていたのは陰陽寮の漏刻博士たち
で、二人交替で水の量をチェックし、鐘
や太鼓で時報を鳴らしていました。これ
は、たいへん重要な役目です。居眠りし
たり遅刻した場合の罰は出勤停止や罷免
など、たいへん厳しい罰が設けられてい
たとのことです。
 当時使用されていた時刻は現在私たち
が使用していると同じ、夏でも冬でも一
定の時を刻む定時法だったのです。
 時代劇などで登場する、日出と日没の
間を等分した不定時法は、戦国時代の混
乱で定時法が運営できなくなった時に代
用システムとして登場したものです。江
戸時代は、時報の鐘を鳴らす役の人は機
械仕掛けの正確な時計に、わざわざ不定
時法用の文字盤を取り付けて、それを見
ながら鐘を打つという、まことに本末転
倒なことをしていたのです。
 時の流れが歴史を刻んでいきます。浅
草六区の映画館、東映パラスが無くなっ
てしまいました。これで六区興行街の残
る映画館はたったの三館です。しかし、
新たに面白い劇場が出来るようです。
 浅草大勝館の中に、“SHOWホール
”がオープンするのです。このホール、
定期興行を行うのではなく、いわゆる貸
しホール。演劇や音楽などのライブや、
集会や展示会などのイベントに貸し出さ
れるそうです。中を覗いてみると、能舞
台のような老松が描かれた、立派な舞台
も有るのですよ。若い連中の演劇の発表
会なんかに使って欲しいですね。
 “あなたも艶やかな芸者や役者に変身
してみませんか?”。そんなコピーの貼
り紙。小さいのですが、こんな粋なホー
ルが出来るなんて、まるで華やかだった
頃の浅草六区に逆戻りをしたような、ち
ょっと嬉しい気持ちになってしまいまし
た。
 天智天皇が時を決め、そして知らせた
のが、今を去る1340年余の昔。今、
時刻は不必要なほど高精度に定められ保
たれています。日常的にそれが要求され
ているのは判るのですが、御天道様のな
すがままの不定時法の方が、人間にも動
物にも優しいんですけどね。