2003年4月13日 日曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数37枚

季節の狭間

 昨夜の雨で惨めになってしまった隅田
公園には、日曜日だというのに訪れる人
もなく、時折地面から舞い上がる花びら
だけが風流だった日々を懐かしむように
遊んでいるのです。木々はまだ数輪の花
を残しておりますが、お世辞にも綺麗と
は言えない状態、必至で枝にしがみつい
ているって感じなのです。
 最近モモちゃんは便秘気味なのでとっ
ても心配です。今朝もなかなか用を足し
てくれません。食事はなんら変わること
なくとっているのですが、季節の変わり
目と、急激に上昇してきた気温のせいで
、体調に異変をきたしたのでしょう。人
間は便秘になると植物繊維を摂取すると
良いといわれるように、モモちゃんは雑
草の新芽をつまんで食べています。犬の
本能が体の異変に対処する行動をとらせ
ているのでしょうね。便秘には植物繊維
が必要であるってことを。
 桜が終わり次の隅田公園のイベントは
、ちょうど一週間後の土曜日に行われる
流鏑馬です。今朝から仲見世伝法院前に
幟が掲げられ、隅田公園入り口にも看板
が建てられました。明日からは、馬が走
るための盛り土や陣幕などの準備が始ま
るのです。流鏑馬が終わると、各町内で
は、いよいよ三社祭の準備が開始され、
浅草が最高に盛り上がる時期を向かえる
のです。
 台東区には、数々の日本初があります
。日本初のエレベーター、日本初の地下
鉄、日本初の博覧会等は有名ですね。そ
して今日は、上野に日本初のコーヒー店
が開店した記念日なのです。
 コーヒーが日本に伝わったのは、江戸
時代中期にオランダ人達が長崎の出島で
飲んでいたのですが、それは彼らだけの
物で、日本人の口に入ることはなかった
ようです。日本人とコーヒーの関わりは
、安永4年(1775年)にオランダの
カールピーターソン医師が“日本人は茶
と日本酒を飲むだけでワインや他の上手
いアルコールも知らない。少量の通訳な
どがコーヒーの味を知っている程度だ”
と書き残しているのが最初とされており
ます。
 また、安政六年(1859年)、鎖国
が解かれた日本へ赴任した、初代英国公
使ラザフォード・オールコックの日記に
は、“コーヒーは公使館へ来る人々の間
で愛飲されている。通訳の森山は特にビ
ールとコーヒーの愛好者だ。”と書かれ
ています。それから20年後の明治21
年、下谷黒門町に日本初のコーヒー店「
可否茶館」が開店したのです。
 「可否茶館」を経営していたのは鄭水
寧と言う中国人で、二階建ての青ペンキ
で塗られた当時としては珍しい洋館は、
1階はビリヤード場、2階が喫茶店にな
っていたそうです。
 コーヒー1杯1銭5厘・牛乳入りコー
ヒー2銭・菓子付きコーヒー3銭でした
が、品物の代金とは別に席料が1銭5厘
かかったと記されています。また、店内
には、新聞や遊び道具が置かれ、さらに
学生向けに文房具販売なども行い、女性
用の更衣室まであったとか。当時の蕎麦
一杯が1銭だったのでコーヒーはかなり
高価な贅沢品だったのでしょうが、今で
も立ち食い蕎麦と比べるとコーヒーの方
がちょっと高いかもしれませんね。
 日本人には馴染みのない得体の知れな
い黒い液体。好んでを飲もうとする人が
少なく、日本最初の喫茶店「可否茶館」
は、二年半ほどで閉店してしまいまった
そうです。