2003年4月3日 木曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数35枚

伝説

 雨もあがり気持ちの良い朝になったの
ですが、満開の過ぎた隅田公園の桜は散
り始めています。この分だと週末には葉
桜になってしまうのでしょうかね。その
前に花見を楽しもうとする連中が、早朝
からシートを敷いて場所取りが行われて
います。しかし、例の方々と同様、隅田
公園一帯に並んだブルーのシートは風流
とはかけ離れた雰囲気も醸し出している
のです。せめて、赤い毛氈とは言いませ
んが、花ござとか・・・例の方々とは一
線を引いて欲しいですね。
 花川戸公園に紅白の幟が並びました。
明治24年に埋め立てられた姥ケ池伝説
、その供養のために建立された「福寿稲
荷」。今月十二日に、子院妙音院所蔵の
石枕を供養するためその縁日を迎えるの
です。
 この石枕にまつわる伝説とは、昔この
辺り一帯は浅茅ガ原と呼ばれ寂しい寒村
だった頃、それも人里離れた寂しい一軒
家に老女と若い娘が住んでいました。二
人は、ここを通る旅人に一夜の宿を貸し
、石枕で叩き殺して身ぐるみはいでいた
のです。殺された旅人の数は九百九十九
人ともいわれ、これをみかねた観音様が
旅姿の若衆に姿を変えて一軒家に泊まっ
たのでした。老女は例の如く夜中に旅人
を殺したのですが、布団を開けて驚いた
のです。なんと、死んでいたのは旅人で
はなく自分の愛娘でした。老女は大いに
嘆き悲み、悪行を悔やみ観音様の慈悲で
竜となって近くの池に消えていったので
す。里人はこれを姥ケ池と呼んで、老婆
に殺された九百九十九人を供養するため
の「福寿稲荷」を建立したのでした。
 「姥ケ池伝説」と同じような伝説は、
京都の「安達原姥ケ池伝説」とか、「鬼
婆伝説」など、全国各地に有るようです
。これらの話の原点は、中国の広州に実
際に住んでいたといわれる「元祖鬼婆伝
説」が日本に伝わったともいわれていま
す。最近は愛知県で出没する自転車に乗
った鬼婆も居るようです。いつの世にも
理解に苦しむような行動をとる人が居る
のでしょうね。
 浅草を舞台にしたNHKの連続テレビ
小説「こころ」。放送されて僅か4日目
だというのに、徐々にその効果が現れて
きました。浅草の街のあちこちにポスタ
ーが貼られ、ロケを行った場所にはロケ
地表示の看板も立てられるそうです。今
朝見付けたのは、電気ブランで有名な“
神谷バー”のウインドウに登場したのが
、「こころ膳」。“体健やかに、こころ
健やかに、お客様の健康を考えたヘルシ
ーなお膳です”と書かれています。連続
テレビ小説との関係は書かれていません
が、この時期浅草に来られる観光客を目
当てに創作したのは明らかですね。近い
うちに、人形焼きとか揚げ饅頭にも登場
するのでしょう。“こころ饅頭”、“こ
ころ焼”、“こころ蕎麦”、等々。また
ダジャレで天麩羅屋さんは、“こころ天
”、活き造りを食べさせるお店は、“こ
ころ活(こころいき)”なんてのもおも
しろいですね。過去の連続テレビ小説の
舞台になったところでは、今でも懐かし
い名前が入ったお菓子類が売られてます
よ。その代表みたいのが、昭和41年に
始まった、第一回連続テレビ小説「おは
なはん」。四国の大洲市に行くと、“お
はなはん饅頭”はもちろん、ロケ地跡な
んてのは旧跡として文化財に指定された
ような看板も立ってましたよ。
 連続テレビ小説でなんといっても有名
なのは、今も再放送されている「おしん
」ですかね。あの番組でおしんを虐める
悪い女、“佐賀の女”のイメージは、今
でも根強く残ってるようです。
 数百年も経つと、“佐賀の鬼婆伝説”
になってるかも・・・。