2003年2月28日 金曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数38枚

桜が!

 桜が咲きそうです!
今日で2月も終わり、これからだんだん
暖かくなってきますね。浅草寺境内の弁
天山の桜がようやく開きかけています。
この調子じゃ明日あたりに小さな花を付
けるのでしょう。昨日は、台東区で一番
早い開花とされている上野公園入り口の
桜を見に行ってきたのですが、まだこん
な状態では無かったような。ここの桜が
一番早いのかな。
 今となっては、浅草寺境内は、ここ鐘
楼の有る弁天山に小降りの桜が一本と、
浅草神社境内の数本だけですが、戦前ま
では境内一帯に桜の花が咲き花見客で賑
わったようです。あほまろがコレクショ
ンしている明治時代の手彩色絵はがきの
中にも、花見客で賑わう浅草寺奥山の光
景を見ることができます。
 遠くに見えるのは、通称「浅草十二階
」。浅草の象徴的な建物だった12階建
ての「凌雲閣(りょううんかく)」です
。10階までが八角形のしゃれた総レン
ガ造りで、木造の11〜12階部分には
望遠鏡もあったそうです。また、「日本
初」のエレベーターが自慢でもありまし
た。詩人の石川啄木日記にも登場するこ
の「凌雲閣」。彼は、23歳で単身上京
、創作活動に人生をかけたのですが、原
稿が思うように売れず、絶望感に捕らわ
れるたび、浅草に気晴らしに出かけたと
書かれています。桜の或る日、売れない
原稿に悲観し十二階で投身自殺を謀った
とも。結局は思いとどまって、階下の私
娼窟(ししょうくつ)に身を沈めたそう
です。この日記を読んだ時に思ったのは
、彼は最初から私娼窟を目的に浅草に足
を運んだのでしょう。それを正当化させ
るために、十二階で自殺しようとかと、
体裁を繕ったようです。さすが詩人。
 「凌雲閣」は明治33年(1890年
)に完成して以来、浅草観光の目玉でし
た。人々は仲見世を歩き、観音様に参拝
し、六区の芝居小屋を冷やかし、「凌雲
閣」で新しい時代を感じたのでしょう。
しかし、大正12年(1923年)9月
1日に起きた関東大震災によって崩壊し
、日本初の高層建造物は、鉄骨むき出し
の痛々しい姿をさらしたのでした。
 「花の雲鐘は上野か浅草か」有名な松
尾芭蕉の句をもじって、当時の人達は、
「花は上野か浅草か」と、桜の季節はど
ちらも賑わったのでしたが、東京大空襲
によって総てが焼き尽くされ、今では当
時を忍ぶことも出来なくなってしまいま
した。その変わり、隅田川沿いの隅田公
園に桜が植樹され、桜の名所の威名を保
っているのです。
 毎年、ひな祭りが終わる頃に隅田公園
の桜が開き始めるのですよ。昨年は気候
の関係で見所を失ってしまったのですが
、今年は暖かい春の日の桜並木を楽しみ
たいですね。
”たぐひなき 花をし枝に 咲かすれば
 桜にならぶ 木ぞなかりける” 西行