2003年2月19日 水曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数43枚

太鼓持ち

 造花ではありますが、パッと花が咲い
た仲見世は気分が良いですね。写真に写
ると、この造花は雰囲気も色も本物そっ
くりなんですよ。こうなったら本物が待
ち遠しい・・・。そんな気持ちで、今朝
はちょっと遅めの散歩でした。
 太鼓持ちを幇間といいます。遊客の機
嫌をとり、酒興を助けるのを仕事とする
男性で、男芸者とも呼ばれております。
狸塚で有名な鎮護堂の境内には昭和三十
八年建立の幇間塚があります。碑の表面
には幇間の由来と、久保田万太郎の”ま
たの名のたぬきづか 春ふかきかな”の
句、裏面に幇間一同の名が刻まれていま
す。この幇間を花柳界で、”たぬき”呼
んだことからここ”お狸さま”の地に建
立されたそうです。その由来によると、
明治維新に彰義隊と官軍が上野の山で戦
ったとき逃げ出した狸が浅草奥山に住み
着き、いたずらをするので困っていた時
に、浅草寺住職唯我韶舜僧正の夢枕に狸
が立ち、自分たちを保護して下されば、
伝法院を火災から守りましょうといった
とか。そのお告げによって、明治16年
鎮護大使者として祀ったのが始まりと書
かれております。今では、火防・盗難及
び商売繁盛を祈る人が多く、とくに芸能
関係者と花柳界の方々の信仰が知られて
います。
 この幇間という職業の方は、明治維新
以降も盛んで戦前までは日本全国で5〜
6百人程居られて繁栄していたそうです
が、「売春防止法」が施行されて公娼制
度が全廃され、色里の閉鎖と同時に伝統
的なお座敷文化までが隅に追いやられて
しまったのでした。今残っている幇間は
、浅草に4名と京都に1名の僅か5名だ
け、時代と共に遊びの趣向が変化し、い
わゆる若旦那や粋人と呼ばれる方々も、
ホステスやコンパニオンなどを好み、そ
のうちに芸者さんという職業も無くなっ
てしまうんでしょうかね。華やかだった
頃の伝統文化には成り得ない、裏の伝統
文化であった幇間達の活躍を知るのは、
落語の噺の中だけになってしまいそうで
すね。
 何の話題も見いだせなかったので、ち
ょっと横道に反れた日記でした。
 韓国の地下鉄火災で、焼死者が200
名にものぼると報道されております。こ
の事件の容疑者は、何かの鬱憤を晴らす
ためシンナーの様な可燃性の液体をペッ
トボトル2本分まいてライターで火をつ
けたとか。でも、たった2本分の液体で
電車の2編成が全焼するってのも不思議
ですね。この事件は対岸の火事と安心し
ていられないのでしょう。今の日本も不
況の影響で失業者も多く、世間に鬱憤を
晴らすためと同じようなことを考える輩
が・・、そう考えるととっても怖いです
ね。二年前の炭疽菌騒動の時には、地下
鉄内に砂糖をばらまいて逮捕された男が
居ましたが、真似だけはしないでくださ
いよ。