2003年1月25日 土曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数36枚

邦楽

 あほまろ天気予測によると、富士山が
くっきり見える日はとっても気温が低い
日なのです。案の定今朝の最低気温は2
℃。境内の水溜まりには厚い氷が張って
おります。今日から出店する屋台の準備
をする人達は自分の屋台を設置するため
には、氷割りの作業から始めなければい
けないようです。寒い中ご苦労さんです
ね。
 こんなに寒いのに、淡島堂の真っ赤な
梅の花が開花してきました。毎年、この
梅が満開になると、春がやってきた気分
になるのです。この調子じゃ、2月の上
旬には満開になるんでしょうね。
 浅草寺観音堂前に、節分の年男の名前
が掲げられました。普通年男というと、
今年は羊年生まれの人をさすのですが、
ここの年男はいつも政治家や老舗の社長
などの名前が並ぶのです。この人達に加
え、出席する芸能人の名前ももうすぐ貼
り出されるのでしょう。今年も二回に分
けて開催される節分会、第一会は午後0
時半より、第二会は午後2時より伝法院
より羽織袴の年男の行列によって、行わ
れます。
 「音楽に国境はない」音楽の素晴らし
さを語る時、時々耳にする言葉です。こ
の言葉、本来の音楽について述べている
ということに異論はないでしょう。我々
は、音楽を、その国ごとにジャンル付け
してしまうことも少なくありません。一
番大きな括りが日本の音楽である邦楽と
、日本以外の音楽である洋楽。さらに、
洋楽の中でも、イギリス、アメリカ、あ
るいはブラジルなどと、ロック、ポップ
スでも国の名前を付した、異なるジャン
ル付けをされることが少なくありません
。やはり、そこには国や文化によって、
同じポップやロックでも微妙に異なって
くるからなのでしょう。
 昨日の新聞によると、幕末、長崎・出
島に滞在したドイツ人医師シーボルトが
日本の音楽の旋律を書き留めた直筆の楽
譜が、ドイツ在住の子孫の自宅から見つ
かったことが報道されました。日本の旋
律を採譜したものは鉛筆書き1枚とその
清書2枚の3枚ですが、江戸時代に流行
した「かっぽれ」とみられる「俗謡」を
はじめ、「三味線による伴奏」と書かれ
た2曲、「航海の時に歌う日本の歌」「
月琴で演奏される中国の小曲」「静かな
夜に演奏されたひちりきのソロ」の計6
種類だったそうです。
 シーボルトは1823年にオランダ商
館の医師として来日し、後に伊能忠敬の
「大日本沿海與地全図」などの御禁制品
の持ち出しが発覚し、1829年に国外
追放されたのです。日本滞在の6年間、
全国各地を歩き日本文化に精通していっ
たシーボルトが、日本各地に口伝で残る
日本のメロディーまでを、五線譜に書き
写していたとは、過去のシーボルト研究
にはいっさい記載されておりません。た
だ、長崎出島に始めてピアノを持ち込ん
だとの記録があり、よほど音楽に精通し
ていた人物だったんですね。
 まさに、「音楽に国境はない」という
証拠なのです。また、このたび見付かっ
た楽譜の中には、シーボルトが自ら作曲
した邦楽調の音楽も記載されていたそう
です。
 シーボルトは日本から持ち帰った文物
などをもとに、「Nippon」、「日本動
物誌」、「日本植物誌」などを著し、ヨ
ーロッパの学会で日本ブームの火付け役
になった人でもありました。彼はきっ、
と浅草寺にもやって来たんでしょうね。