2002年12月18日 水曜日     

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数40枚

羽子板市
 本当に不景気なんですね。羽子板市の
初日の売り上げは、昨年の半分もいかな
かったそうです。”一年間丹誠込めて作
った羽子板が可愛そうだよ”、江戸伝統
工芸師の秀徳さんが嘆いていました。今
年はウン悪く平日三日間に当たってしま
ったってのも、要因の一つなんでしょう。
 不景気になると、人々は芸術を楽しむ
余裕もなくなってしまうのでしょうか。
日本を代表する女性洋画家の三岸節子さ
んや、夫の好太郎さんの代表作品の展示
で有名な、名古屋のヒマラヤ美術館が、
基本財産の絵画や自社所有の絵画を担保
に借金し、多数の絵画が担保流れになっ
て流出してしまったそうです。三岸節子
さんの代表作と言われる「ヴェネチア」
は、教科書にも掲載されている有名な作
品。すでに誰かに渡ってしまったようで
す。あほまろもオープン当初の昭和53
〜4年頃、二度ほど見学に行ったことが
ありました。
 名古屋のしにせの洋菓子店「ヒマラヤ
」の創業者が設立した財団法人「ヒマラ
ヤ美術館」ですが、本業の洋菓子店の経
営不振の穴埋めのために売らざるを得な
かったとのこと。平成12年以前には、
基本財産として絵画が70点、簿価で計
2億2738万円だったそうですが、今
年3月の時点では18点に減ってしまい
、簿価で1125万円の絵画が残ってい
るだけと報道されていました。残念なこ
とですね。
 吉武輝子著の「炎の画家 三岸節子」に
よると、「夫好太郎は天才、妻の私は努
力の人」。明治38年愛知県に生まれ、
当時新進画家として第一歩を踏み出した
ばかりの三岸好太郎と結婚したのは19
歳のとき。突然の胃潰瘍の出血によって
好太郎が31歳で急逝し、節子が取り残
されたのは29歳。好太郎の死を聞いて
「助かった。これで私は画家として生き
延びられる」と心の中で叫んだそうです
。好太郎との結婚は僅か10年間であっ
たのですが、既に3人の子どもをもうけ
ていたのです。当時、注目されていたと
はいえ絵描きとして生計を立て、3人の
子どもを育て、女流画家として新しい道
を切り拓くには阿修羅のごとく生きるし
かなかったとも書かれています。大胆な
描写に独特の色使いの作品を再び一堂に
介して見られる日は来るのでしょうか。
 今年もチャリティ羽子板オークション
が始まりました。今、イラスト、コミッ
ク界で人気者、約20名のオリジナル手
書き羽子板なのです。昨年あほまろは、
森田拳次さんの寅さんに一万五千円で応
札したのですが、結果は不楽。いったい
幾らの値段が付いたのでしょうね。やな
せたかし・上田トシコ・高井研一郎さん
等々、もう一つの羽子板市の楽しみなん
ですよ。ここだけは、不景気にもかかわ
らずみんな高値が付いているようです。