2002年7月17日 水曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数22枚

浅草の文脈

 三社祭りが終わってちょうど2月が経って、浅
草ではお祭りの話題を口にする者も居なくなった
。それより今月最終土曜日に開催される隅田川花
火大会が話題の中心になっている。また、今日、
山鉾巡行が行われる京都の祇園祭を皮切りに、こ
れから一斉に夏祭りが始まるんだね。     
 四国の夏祭りが好きで、何度も訪れている。特
に、高知で行われる”よさこい祭”の陽気なリズ
ムがこの時期、あほまろの脳裏に見え隠れするん
だ。ここ浅草でも「みちびき地蔵尊御縁日」に、
”浅草観音裏へ夜さ来い踊りがやってくる”と、
高知の「よさこい踊り」をそのまんま浅草に持ち
込むらしい。あの軽快なリズムを居ながらにして
楽しめるのが今から待ち遠しいね。7月21日(
日)の夕方6時から、観音裏の柳通りで開催され
るんですよ。                
 昨夜は、浅草をこよなく愛する若者4人との出
逢いがあった。彼らは東京大学の工学部都市工学
科の連中で、卒論の一環として浅草の研究の小冊
子、「浅草の文脈」をまとめあげた。     
 文章中の語の意味の続きぐあいを現す「文脈」
という言葉。比喩的に、筋道・背景などの意にも
使う言葉を、あえて「浅草」に当てはめたセンス
は敬服ものだ。内容を読ませてもらうと、浅草の
繁栄に必要不可欠な「見世」の存在、それに変わ
ってしまった「店」の進出。今、「見世」の文字
を冠しているのは、浅草寺参道の「仲見世」だが
、彼らから見ると、どこにでも有る商店街のよう
な「店」の連続にしか見えないのだろう。
 昔と、いってもうんと昔の大正時代。浅草のシ
ンボルとされた”凌雲閣”いわゆる浅草十二階と
称された日本初の高層建築が有った。その存在が
彼らが言う、高所から「世を見る」ことを人々に
教えた「見世」そのものの始まりなのだ。その頃
の浅草は何ごとにつけても、「世界一」、「世界
初」を目指していた日本の中心、浅草のバイタリ
ティだったのだろう。            
 そんな良き時代の浅草の繁栄をベースに、現在
の浅草と、これからの浅草の有るべき姿を、素直
な意見で、浅草を愛する人たち、また、浅草に住
む者たちに教えてくれているのだ。      
 ”僕らは浅草に夢を見た”からはじまるあとが
き。”全力でぶつかった。一生懸命さかのぼった
。てっぺんは見えたのかな?それはまだ判らない
。でもいつか、振り返ったときには、きっと地面
は遙か遠くにあることを信じたい・・。”と、述
べている。                 
 三社祭に代表される江戸・浅草。祭りが終わっ
ても、”粋と人情”が、訪れる者に感じて貰える
ような「見世」のあり方を皆さんも考えてみませ
んか。                   
 この「浅草の文脈」、ホームページで公開して
欲しいですね。