2002年6月16日 日曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数34枚

記録

 およそ国民の総数が真から同じ話題で盛り上が
ったって事は、有史以来始めてのことでは無いだ
ろうか。日清日露の凱旋パレードや、先に大戦の
陥落祝賀など、記録の上では国民の総数が歓喜の
声を上げたなんてことが書かれているが、それが
お仕着せであったってことは、疑う余地も無い。
 今回のワールドカップで、勝利祈願、祝勝御礼
で浅草寺を訪れた人は多い。特に外国からのサポ
ーター達が目立っている。みんなお揃いのジャー
ジなので、すぐにそれと判るのだ。また、毎朝定
期観光でやってくる韓国の団体は、老若男女を問
わず赤いジャージ。まるで、団体旅行の制服のよ
うに揃っているのだが、先週からパッタリとその
姿を見なくなった。今朝、久しぶりにお逢いした
ガイドの李さん。ワールドカップで韓国が頑張っ
ているかぎり、みんな韓国から出たがらないそう
だ。今朝はベトナムから来た10名ほどを引率し
ているだけ。その観光客にワールドカップは何処
を応援しているのと問うと、”どこの国も戦争み
たいに騒いでいるのでサッカーは嫌いだ”。そう
か、関係の無い人が端から見ているとまるで内乱
や、戦争のように見えるんだね。でも、そのおか
げで、昨日は滞在中のホテルの夕食が無料になっ
たそうだ。あんた達も日本が勝って良かったね。
 浅草寺や浅草神社には、百を越える金石碑が建
っている。金文と石文、つまり、鼎(かなえ)・
鐘・石碑・仏像等、金属・岩石・木版等に刻され
た文字・文章・銘文の総称を「金石文」という。
そこに刻まれた文字は様々だが、その存在は古墳
時代に遡るそうだ。しかし、せっかく石に刻み、
未来永劫その痕跡を後世に伝えようとしても、限
界がある。保存状態が良くて2〜3百年。雨ざら
しで手入れもされない石碑は、百年持たないそう
だ。そんな訳で、無縁仏になってしまった永代供
養の墓石を一箇所に積み上げている墓地が多い。
浅草神社の境内にも、昔何かの金石碑であったよ
うな石が、石垣の一部として使われている。また
、用が終わった狛犬も仲良くつがいで放置されて
いる。あほまろは立派に飾られている金石碑より
、このように用済みになった石達の履歴を見るの
が好きだ。以前、佐渡金山の側の石垣に、有り得
ない年号が刻まれた墓石を発見した。今のように
情報が瞬時に伝わる時代では無い頃。京都で天皇
が勝手に年号を変えても、全国にそれが伝わるの
にかなりの時間を要したのだろう。そのために年
号の前に必ず干支が添えられているのだ。佐渡で
見た墓石は、元文壬戌七年となっていた。元文は
六年二月までなので、壬戌と書かれている為に、
寛保二年であったことが判るのだ。この便利な干
支は六十年周期なので、よっぽどの事が無いかぎ
り狂う事の無い、当時は大切な暦だった。今のよ
うに、日本で行われているサッカーが、同時に世
界中で観戦できる世の中を、未来の人々に伝え記
す為には、何で残したら良いのだろうか。数百年
後に残るのは、やっぱり昔から伝わってきた「金
石碑」が一番良い方法なのかもしれないね。  
 20年間毎月欠かさず、自宅前のジュースの自
動販売機を撮影している人の本を読んだ。ジュー
スの種類、キャンペーンの内容で世相が判るそう
だ。そうだね、今の自販機はワールドカップネタ
のキャンペーンが多いようだ。そんな記録っても
の20年間続いたから価値が有るんだね。   
 あほまろが毎朝浅草寺境内を撮影している写真
も、そのうち価値が出るかもね。