2002年6月15日 土曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数28枚

サポーター

 日本が勝った!韓国が勝った!これで主催国と
しての面子が保てたことになる。昨日の2試合を
見て改めて感じたのは、選手達にとって如何に応
援団の励ましによって、力が入るってこと。特に
サッカーは長丁場。だらけそうになった時、応援
団の励ましで蘇っているようだ。そんな応援が少
ない国が負けるに決まっているんだね。日本は青
一色、韓国は赤一色の応援団、サッカーではそん
な応援団をサポーターって呼んで選手と一体感を
表している。今では当たり前に使われているサポ
ーターって言葉は、日本にJリーグが出来た時か
ら一般化された。でも、当時は若い女の子が、”
私、青のサポーターが好き”なんて人前で会話で
もしていたら、オジサンは驚いたよ。だって、オ
ジサンの若い頃には、海水パンツの下に着ける下
着を”サポーター”って呼んでいたんだぜ。  
 父の日だが、それがどうした。誰が何の為にこ
んな日を決めたんだろかね。あほまろには、二人
の子供が居るが、”お父さんありがとう”なんて
、労ってもらったことなんて無いね。あほまろの
子供の頃にも”父の日”なんてのが有ったよな記
憶があるが、昔の父親って存在は、おっかなくて
恐くて、お世辞にでも”お父さんありがとう”な
んて言ったら、”親をバカにするな!”って、即
ゲンコが飛んでくるような。しかし、そんな親父
もきっと内心は喜んでいるのだろうな。ゲンコは
照れ隠しっていうか、愛情の表現なんだよな、あ
の時代は。                 
 ”父の日”を調べてみると、この習慣はアメリ
カから輸入されたようだ。1910年、アメリカ
の退役軍人が妻を早くに亡くし、男手で一つで育
てた6人の子供達。その末っ子のドット夫人が、
”母の日が有るのだから、父に感謝する日を制定
しよう”と運動し、6月の第3日曜を「父の日」
に制定したんだって。父の日のシンボルはバラだ
そうですよ。”あほまろは怒らないよ”って大声
出しても、今日も子供達はどっかに遊びにいって
しまったもんね。(*>_<)/~~         
 昨夜の繁華街では、サポーター達が羽目を外し
て騒ぎまくっていたようだが、ここ浅草は繁華街
のわりには静かなもんだったよ。ただ、この辺の
ホテルや旅館には、何故かイングランドのサポー
ターの滞在が多いようだ。毎朝、国旗をあしらっ
たのか、赤十字みたいな服を着て歩いているんだ
よ。特にイングランドが勝った日には、回転寿司
屋で夜中まで騒いでいたんだけど、テレビには取
り上げられなかったね。これで、イングランドが
負けでもしたら、きっと浅草も大騒ぎになるかも
しれないねぇ。
騒ぎたい連中は浅草に集合ってか。
 鶴は千年、亀は万年と言われるけれど、影向堂
前の池にいるつがいのカメが一匹死んだそうだ。
恋人亀の死を悲しんでいるのかのように、岩に頭
を付けて微動だにしない片割れ亀。不謹慎だが、
ある小話を思い出して苦笑いをしてしまった。
 ”亀は万年生きるっていうけど、影向堂の亀が
  昨日死んだぜ!あれって嘘だったんだな”
 ”いや、本当さ、昨日がちょうど万年目だった
んだよ”