2002年5月29日 水曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D60
TAMRON SP ZOOM 24-135 F3.5-5.6
撮影枚数33枚

与謝野晶子

 「君死にたまふことなかれ」。唐突に登場した
この詩は、与謝野晶子が日露戦争で旅順口包囲軍
の中に在る弟を嘆いて書いたものだ。大阪、堺の
菓子商駿河屋のお嬢様として生まれました。与謝
野晶子は、与謝野鉄幹との恋愛騒動や、この「君
死にたまふことなかれ」の反戦詩が有名な当時と
しては洋服の似合う綺麗な女性だったのだろう。
そんなイメージを今に伝える詩人、与謝野晶子が
亡くなったのは1942年の今日なのだ。評論家
、エッセイスト、教育者、古典研究者として様々
な文学活動を展開する一方、11人の子の母でも
ある。また、短歌革新の若き旗手であった与謝野
鉄幹の妻として、六十四年の歳月を生き抜いた、
”人間性の解放”と”女性の自由の獲得”をめざ
して、その豊かな才能を詩歌に結実した情熱の人
だったのだ。そんな彼女を讃え、最終歌集である
「白桜集」にちなみ、今日は「白桜忌」とも呼ば
れているのだ。               
 あほまろは、彼女の処女歌集「みだれ髪」に収
められている、「やは肌のあつき血汐にふれも見
で さびしからずや道を説く君」が大好きだ。現
代においてこそ、女性の自立、女性の主張も市民
権を得て当然のことだが、明治34年の世に、女
性の立場で艶麗な官能、奔放な情感をうたいあげ
たこの浪漫的な歌集は、世の中にかなりセンセー
ショナルなものであったのだろう。      
 浅草には何の関係も無いことから書き始めてし
まったが、今日の記念日の中で見付けたのが、モ
モちゃんとの散歩中づ〜っと気になっていたから
なのだ。与謝野鉄幹・晶子の家は、以前あほまろ
が住んでいたすぐ近所にあった。その頃は、孫の
与謝野馨ってのが衆議院議員になって偉そうにし
ていたが、一昨年の総選挙で見事に”落選”。近
所の連中はこぞって”ざま〜みろ!”って感じだ
ったよ。選挙演説の節々に、与謝野鉄幹・晶子の
孫であることを強調しているのだ。それって、自
分に何も誇る所がないプアーな人間って証拠を晒
しているようでもあるんだね。与謝野鉄幹・晶子
が生きていたら、そんな哀れな孫の態度を、嘆く
だろうねぇ。「沙羅双樹しろき花ちる夕風に、人
の子おもふ凡下のこころ」なんて、「明星」に掲
載された有名な詩。”お釈迦様がその下で入滅さ
れたという沙羅双樹。その白い花が夕風に吹かれ
て散るのを見ても、凡人の私は哀れな孫を思い悲
しんでいる”ってな感じかもしれないね。 
 今朝の仲見世に、「歓迎 明治神宮崇敬会」っ
て横断幕が張られた。明治神宮崇敬会の連中が、
浅草寺にお参りに来るらしい。神道国教化をめざ
して行われた一連の政策により、神仏習合を否定
し、神道を仏教から独立させたた明治政府の宗教
政策。”神仏分離”と、その後の”廃仏毀釈”等
の悪態政策を行ってきた明治天皇を祀る明治神宮
の連中を迎えるのに”歓迎”ってのは、ちょっと
道理にはずれたような・・。まぁ、今の世の中、
何が起ころうが不思議ではないがちょっと違和感
を覚えるのだった。その側では、天皇の象徴であ
る太陽の光線を遮るための簾の取り付けが行われ
ていた。浅草はこれから訪れる”孟夏”にむけて
の準備が始まった。