2002年4月19日 金曜日       

今朝の写真 
CANON EOS-D60,TAMRON SP ZOOM 24-135 F3.5-5.6
撮影枚数42枚枚

タンポポ
 週末が近づくと浅草は行事の準備で忙しくなる
。明日は恒例の流鏑馬が開催される隅田公園の会
場では、馬の走るコースも完成し、回りを囲む陣
幕も取り付けられ、的の設置が行われていた。昨
年は土砂降りの雨の中行われた流鏑馬だったが、
今年は晴れの予想なので大勢の人が訪れるのだろ
う。この流鏑馬は、”やばせむま”、とも解し、
また、流鏑と書くのは鏑(かぶら:木・竹の根ま
たは角つので蕪かぶらの形に作り、中を空にし、
数個の孔を穿って矢の先に付けるもの。)を飛ば
すことで、馬を駆けさせながら鏑を射る意味を文
字化したと言われている。流鏑馬は、今から約9
00年前の藤原明衡の新猿楽記に始めて登場した
。当時の流鏑馬は朝廷の警護にあたっていた、滝
口、随身などが射手となったもので、公家の催し
として朝廷の行事である騎射として平安時代盛ん
に行なわれていたという。武家としての流鏑馬の
始めは平治物語に見える平清盛の伏見稲荷神社の
流鏑馬であると言われている。現在では、浅草流
鏑馬の他に、宮崎神宮流鏑馬神事・津和野鷲原八
幡宮流鏑馬神事・香取神宮午年式年大祭奉祝流鏑
馬・賀茂御祖神社神事流鏑馬・富士山本宮浅間大
社神事流鏑馬・日光東照宮流鏑馬神事等々、全国
で行われているようだ。また、ここ浅草の流鏑馬
は、昭和58年に、パリのエッフェル塔の下、シ
ャンドマルス公園で披露された事がある。   
 流鏑馬が行われる前の午前11時〜正午、古式
弓法が小笠原流一門にて演じられる。鹿の的に向
かい古式装束に身を固めた2組8人の射手が2度
弓を射て競う競技で、当たった位置や矢の跳ね返
りにより、行事役問答を組み交わす、のんびりと
してまた格調高い競技、”草鹿”が行われる。 
 流鏑馬は、午後1時〜2時ですが、会場が狭い
ため早め、的の良く見える所を押さえるには、午
前中から陣取らなければいけないようです。 
 隅田公園で行われている流鏑馬の準備を見て歩
いていると、先日まで黄色い花を咲かせていたタ
ンポポが種子に変身していた。タンポポには、大
きく分けて「在来種」と「帰化種」の2種類があ
り、このように咲くのは春だけの物が「在来種」
らしい。夏や冬にでも咲いているのは、「帰化種
」で、いつでも花を咲かせて、種子を作るという
特徴でその勢力を伸ばしているそうだ。帰化種が
その分布域を広げやすいということの理由のひと
つは、その種子と花の性質による。帰化種の種子
は、在来種と較べると、小さくて数が多いことが
わかっているらしい。つまり軽くて遠くまで飛ん
で行きやすいわけなのだ。また在来種の種子は、
その年の秋に発芽し、花が咲くまでには数年かか
るのにたいし、帰化種では、できた種子はすぐに
発芽でき、また株ができるとすぐに、季節にかか
わらず花を咲かせるのだと、植物辞典に書かれて
いる。そういえば、タンポポのイメージってなん
となく秋のイメージだったのだが、これってすべ
て外国からやってきた「帰化種」のタンポポだっ
たわけだね。               
 子供のころ雑草で遊んだ楽しい思いでがある。
特にタンポポに関しては、枝を折ると白い樹液が
出てくるのを楽しんだ。また、種子を作ると、そ
の種子が何処まで飛ぶかの競争なんかもしたっけ
、昔を思い出してタンポポの種子を吹いてみた。
空高く舞い上がる種子を見ていたモモちゃん、そ
の一つが鼻に入ったようで、大きなくしゃみ。そ
の勢いで、他の種子も勢いよく宙に舞い散ったの
でした。自然との共生って素晴らしいのだが、そ
んな風情も無くなりつつある都会。その中にオア
シスのように存在する公園。最近ではどこの公園
もホームレスの住処になってしまった。行事が行
われる時だけ強制撤去をするようだが、普段もな
んとかならないのでしょうかね。たんぽぽの存在
だって普段は見えなかったんですよ。ここには、
大切な「在来種」が生息してるんですから、「帰
化種」をできる限り寄せ付けない努力も必要では
ないでしょうか。