2002年4月13日 土曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D60,CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数40枚

社員旅行
 またまた突然ですが、社員旅行で、鬼怒川の更
に奥の奥まできてしまった。湯西川温泉郷という
平家の落人の里らしい。標高も高く周りの風景は
まだ冬のまま。それもそのはず道路の横には、ま
だ雪も残っている。こんな温泉地が秘湯というの
だろう。こんな所に、社員旅行で100名も押し
掛けるのは、秘湯の神様に申し訳ないのではない
だろうか。旅館のアルバイトにそれとなく聞いて
みると、客のほとんどは夫婦には見えないカップ
ルだそうな。うぅ〜ん、今回は場所の選定を間違
ったようだ。それでは、村の探索でもと、カメラ
を持って歩いてみた。この場所が温泉地として栄
えたのは、江戸時代の寛永時代かららしい。今で
も当時の味噌屋さんを改修した旅館が残っている
。平家の落ち武者達は、平の名前を隠すためなの
か、残すためなのか半の字に改め、後ににんべん
をつけて伴姓を名乗ったのだという。そこの従業
員の話では、今でもこの村には伴の名前が多く、
この旅館の社長も伴さん。あほまろにはかなり興
味がある話なので、もう少し聞きたかったのだが
、仕事が忙しそうでそれ以上は相手をしてくれな
かった。そんな話はガイドブックにも記載されて
いないし、聞く以外に調べようがないのが残念だ
った。源平の話は有名だが、落ち武者の話になる
と、今でも口を閉ざす人も多いようだ。ただ、歴
史的にみて結構いい加減な話も多い。この地区に
落ち武者として住み着いた人は、日光今市より慶
長山を目指して集まってきた等々、まるでそれが
事実のように語ってくれたが、壇ノ浦の合戦は西
暦1200年頃の話。慶長といえば、秀吉の時代
なのだ。そうとすれば、この村は江戸時代初期に
できた集落となる。本当に平家の落ち武者が隠れ
住んでいた所なのか疑問になるが、毎日のように
観光客に語って聞かせているらしく、流ちょうな
話っぷりに、ついついこっちも煙に巻かれてしま
う。今となっては、そんなことどうでも良い事な
のだろう。  
 ホテルの前に、大きな記念碑が建っている。”
点灯記念碑”と刻まれている。読んでみると、驚
くことに、昭和23年10月1日、この村に初め
て電気が来た記念なのだ。これから益々時代が進
み、曰く因縁を受け継ぐ人たちの脚色も交え、数
百年もすると、昭和の時代の落ち武者も話の中に
登場してくるのかもしれない。歴史って結構いい
加減な時代考証で成り立っているようだ。   
 そんな寒村に佇む秘湯の宿も、一晩限り。あほ
まろは、これからみんなと別れて、東武特急で浅
草に戻らなければならない。今夜は、あほまろが
主幹で開催する”浅草古銭会”の発足式。まだ、
準備が残っているのだ。そんなことで、僅か半日
の旅行だったが、久しぶりに若い社員達と本音を
語りあえた有意義な時間だった。