2002年3月23日 土曜日       

今朝の写真 
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 35-70 F2.8
撮影枚数49枚

浅草芸能復活!
 雨上がり、花曇りの天気というのか、ちょっと
肌寒い朝になったのだが、桜はとうに満開を過ぎ
てしまい、昨日来の雨と風でかなりの花が散って
しまった。隅田公園の花見は、この週末で終わっ
てしまいそうな勢いでちょっと寂しい。本来なら
、今週から咲き始め、最終末まで春の到来を楽し
めたのだ。浅草寺周辺では、昨日急遽桜祭りの幟
がたてられたのだが、時期すでに遅しって感のよ
うだ。この様子では、来週桜橋で行われる予定の
隅田川桜祭り、四月初めの着物園遊会も、桜の無
い桜祭りイベントとなってしまう。  
 ”♪春のうららの隅田川。のぼりくだりの船人
が・・”古来より、人々に愛され親しまれて来た
隅田川。四季折々に見せる美しい表情がさまざま
な文化と、下町の情緒を育んできた。中でも、浅
草独特の芸能文化を育んできたお笑い文化の発祥
地でもある。浅草芸能文化発祥の由来は、江戸末
期、御府内の風紀を一新するため、芝居小屋を浅
草寺裏手の猿若町に集めたことに由来する。その
後、場所を六区に移し、独特のお笑い文化を構築
してきた。そんな良き時代の浅草の再来を目的に
台東区の外郭団体の文化・スポーツ振興財団が大
衆芸能の奨励と振興を図るために昭和59年に創
設された「浅草芸能大賞」など、地道な復興活動
が行われているが、芸能の浅草離れは益々加速す
る一方なのだ。           
 昨夜、「浅草演芸ホール」創立50周年記念の
パーティーが浅草ビューホテルで行われた。昭和
22年終戦の痛手を忘れるが如く開設された多く
の映画、演芸場。その中でも、デンスケや、エノ
ケンの人気に並んで、ストリップという新ジャン
ルを切り開き、ストリップの合間にコントやお芝
居を取り入れ、客の非難を恐れずに続けてきた。
そんな努力が、今のお笑い芸人の原点を創作して
きたといっても過言では無い。結果、本末転倒と
もいえる、コントやお芝居を見たくてストリップ
劇場に足を運ぶ客が多くなっていったのだった。
しかし、テレビ時代の到来と、戦後景気の影響で
、人々の趣味も多様化し、浅草芸人も、もっと豊
かな場所を求めて去っていったのだった。   
 今更浅草じゃないよ。そんな風潮を打ち消し、
もう一度浅草大衆芸能を復活しよう。浅草を元気
にしよう。等々、浅草の多くの人々が訴えてはい
るのだが、行動に移さなければ何の変化もない。
浅草演芸ホールのような、いわゆる”小屋”を誘
致する活動をする前に、まず、浅草に客を呼び込
む努力は、浅草演芸ホール、東洋館、木馬館など
、華やかだった頃から続いている既設の”小屋”
に頑張って貰わなければいけないのだ。   
 たとえば、春の着物園遊会の会場に提供し、”
お茶菓子を食べながら演芸を楽しむ会”とか、夏
はビヤガーデンにしてどんちゃん騒ぎの中、”客
の興味をひこう芸人コンテスト”とか、秋は広島
の紅葉まんじゅう屋さん等、全国の物産業者を呼
んで、ホール内で実演販売をしながら演芸を楽し
む”浅草演芸物産展”とか、冬は”酒の早飲み大
会”で、芸人も参加させるとか・・。保健所の規
制や、風俗法など多くの問題は有るだろう。そん
な壁は乗り越えて、法律すれすれで、ただ黙って
座って見るだけの劇場から、観客の意志で見たく
ない人は見なくても別の事が楽しめる。そんな客
主体の劇場への変身を、今の人間は求めているの
かもしれないね。過去にも、ストリップ劇場で、
コントの方が受けた事例もあったじゃないですか
・・。ちょっと過激な発言だったかな。それにし
ても、何かしないと益々駄目になるよ。 
 浅草神社の天水桶の塗装が完成した。この天水
桶も良い時代の浅草を知っているのだろうね。