2002年3月21日 木曜日       

今朝の写真 
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 24-85 F3.5-4.5
撮影枚数47枚

お彼岸
 「春分の日」二十四節気の1つで、太陽が真東
から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じ
になる日。天文学的には、太陽が黄経0度の点(
春分点)を通過する時をいうらしい。これと反対
に、秋分の日は、春分と同様に、太陽が真東から
昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じにな
る日で、天文学的には、天球上の黄経180度の
点(秋分点)を太陽が通過する時をいう。この、
春分の日・秋分の日の日付は、その前年の2月1
日に国立天文台が作成する『暦象年表』という小
冊子に基づいて閣議で決定される。よって、2年
後以降の春分の日・秋分の日は確定していないら
しいが、おおよそ3月20日〜22日になるのだ
といわれている。              
 また、春分の日はお彼岸といい、お墓参りに行
く人も多い。では、なぜ春分の日にお墓参りに行
くのでしょう。お彼岸は、春分の日を中心に前後
3日間、計7日間のことを指し、初日は「彼岸の
入り」、中の日は「彼岸の中日」、最終日は「彼
岸明け」と呼ばれている。お彼岸は仏教に由来し
ており、仏教では”この世”を「此岸:しがん」
、”あの世”を「彼岸:ひがん」と呼ぶ。彼岸は
西の方にあり、そこには阿弥陀如来の極楽浄土が
あると信じられているのだ。春分の日はちょうど
真西に日が落ちるために西方にある「極楽浄土」
の位置を正しく示し、「彼岸」にいたる事ができ
る日らしい。また、昼と夜の長さが同じになるの
だ、我々の心の中の「この世」と「あの世」の比
重が等しくなり、「此岸」と「彼岸」の交流がさ
かんになる日と考えられている。つまり、先祖の
霊との交流を行える日もされているのだ。 
 そんな日でもあり、今朝の浅草寺境内は、大勢
の参拝客で賑わっていた。浅草周辺では、3月2
4日から4月14日まで、桜まつりが開催される
。桜橋花まつり・隅田川着物園遊会・白鷺の舞な
ど、桜にちなんだ多くのイベントが目白押しだ。
また、4月20日流鏑馬・21日早慶レガッタ・
27日泣き相撲と、この時期台東区から目が離せ
ないよ。                  
 ところで、浅草は”台東区”って知っている?
だしぬけだが、先日ある台東区議の視察旅行で、
歓迎の垂れ幕に”大東区・・”となっていたとか
。地方の連中も修学旅行などで、必ず一度は訪れ
る上野・浅草。しかし、そこが台東区であるとの
意識は無いようだ。地方の友人に、台東区に住ん
でいるというと、必ず東京のどの辺?なんて聞か
れてしまう。変わりに浅草に住んでいるとの表現
には、すぐに理解してもらえる。反対に浅草は何
区との質問に、自動車のナンバーから連想するの
だろうか、足立区?なんて言われたこともあった
っけ。上野・浅草を知らない人は居ないのだから
、いっそうのこと、台東区を上野浅草区に名称変
更したら良いのでは。そんな事を真面目に考える
団体も存在するようだ。もともと、下谷区と浅草
区が合併して出来た区なのだからね。     
 昨日の日記でも書いた、浅草神社境内の天水桶
の塗り替え作業は今朝も続いている。昨日はさび
止めの下塗りを完成し、一晩おいて今朝は上塗り
を行い、明日飾りを描くそうだ。素人目には簡単
そうに見えるこんな作業も、プロで無ければ気付
かない繊細な技があるようだ。優しい下町言葉の
おじさんは謙遜して照れ笑いをするが、今となっ
ては、これも江戸の伝統技といっても過言でない
ような。暖かいお彼岸の陽射しを浴びながら黙々
と仕事を続けているのだった。