2002年3月4日 月曜日       

今朝の写真 
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 24-85 F3.5-4.5
撮影枚数28枚

ランドマーク
 あほまろの知り合いに浅草のイメージを問うと
、誰もが”雷門”と答える。言うまでもなく雷門
は浅草のランドマークになっている。これが、昭
和30年代の書籍によると、浅草のイメージは、
六区の興行街だった。また、ランドマークとして
は田原町に有った仁丹塔も大きなインパクトが有
ったようだ。先週金曜日のこの日記で紹介した、
テプコ浅草館で開催された”下町の名監督・加次
井達雄”8ミリ映画会では、そんなちょっと昔の
浅草を垣間見ることができた。SKDのレビュー
で有名だった”国際劇場”、まだビルも少なく電
車が走っていた”雷門通”、新装前の”神谷バー
”、その中でも特に懐かしかったのはあの”仁丹
塔”だった。「仁丹塔の奇跡」と題された8ミリ
映画は、仁丹塔建設時より住み着いている老人が
、過去を振り返りながら次世代の若者にその存在
を伝えるべく姿を現す内容。あの仁丹のロゴに使
われている制服の軍人が主人公になっている。ま
た、この映画は、一種の記録映画の要素も兼ね備
え、昭和61年5月の三社祭りを最後に、老骨化
した危険物として、取り壊されるまでを克明に記
録している。ドラマ仕立てになっているこの作品
は、いかにも素人作品ではあるが、見る者に制作
者の意欲が伝わってくる素晴らしい作品だった。
 ”仁丹塔”というのは、特に歴史的記念物でも
無く、一企業の広告塔である。大正時代に建てら
れ、日本最初のエレベーターを敷設した”凌雲閣
”、通称”浅草13階”を模して建てられた懐か
しい広告塔なのだ。浅草に住む者の記憶には、今
も残るこの”仁丹塔”。いつも当たり前のように
佇むあのバカでかい”仁丹塔”、いつ取り壊され
たのかを知る者は少ない。なんとなく無くなって
しまった。気付いた時は無かったと曖昧な答えが
返ってくる。あほまろの若い頃、千束辺りで遊ん
で浅草まで歩く途中に、夕日を背に眩しく光って
いた”仁丹塔”の姿を、今でも鮮明に覚えている
。こんな貴重な記録を残してくれた故加次井達雄
氏に感謝するとともに、浅草に住む人達の財産と
してビデオ作品で販売しても良いような作品だっ
た。                    
 あほまろが観察している桜の標本木に今朝は椋
鳥が休んでいる。良い天気になったが気温は低く
肌寒く、椋鳥も寒いのだろうか、身体を丸めて留
まったまま、微動だにしない。せっかくほころん
できた桜の芽も、今朝は再び硬く閉ざしてしまっ
たようだ。