2002年2月16日 土曜日       

今朝の写真 
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数21枚

ハヤシライスの味

 オリンピックも終盤に近づいてきた。大金を使
って日本のウインタースポーツを世界にアピール
しようと意気込んで出場した日本だが、結果は銀
・銅の2個で終わってしまいそうだ。こうなった
らと、テレビ各局は10位までの入賞者にターゲ
ットを絞って特集しているおぞましさ。オリンピッ
クは参加する事に意義が有るって基本精神を連呼
する局も有るが、最近のオリンピックは国力の競
い合いのようにも見えてくる。また、長野オリン
ピックで問題が浮上した腐敗しきった組織委員会
も同様。昨日もフィギュアスケート・ペアで審判
員の違法行為が認められ、カナダの選手が繰り上
げ優勝なんてことにもなってしまった。スポーツ
に仲裁裁判所なんて組織が作られたのも本末転倒
って感じだが、これで良いのかオリンピック。放
映権料が1千億円にもなり、スポンサーからも数
百億円が入るようになったオリンピック。今では
ハリウッド映画以上の興行なのだ。      
 六区では今朝もテレビドラマの撮影が行われて
いる。こんな絵になる浅草は、昭和31年をピー
クにどんどん寂れてきたのだ。なぜ昭和31年か
と云うと、昭和32年4月1日施行された「売春
防止法」によって、観音裏に位置した吉原の遊郭
が禁止されたことに起因する。代の男性はこぞっ
て吉原に遊び、その帰りに浅草で食事を食べて帰
るってのが本筋だった。吉原の遊郭に変わって、
東京では新宿、池袋などの繁華街に人々の遊びが
移り浅草はどんどん寂れていった。なんとか浅草
に客を呼び戻そうと、昭和36年には、慶応時代
に焼失した雷門を復活させ、仲見世の整備をした
りで何とか今も人気を保っているのが現状。しか
し、ほっておくとどんどん衰退していくのは確か
だ。ただレトロを重視する古い街のイメージだけ
では客が集まらないし、来たとしても長居はしな
い。浅草に長居をしてもらうための場所として、
映画や寄席などが軒を連ねていた一角が六区興行
街であったのだが、今は寂しい。興行を楽しんだ
後、浅草の人気はなんといってもパーラーで食べ
る”和風洋食”だった。当時のメニューでいうと
、ライスカレー・オムライス・ビフテキ・シチュ
ーにハヤシライス。書き出してみても懐かしさが
込み上げる。ビフテキなんて表現は今は無くなっ
てしまったが、ハヤシライスは今も健在。このハ
ヤシライスとは、ハッシュド(細かくくだくとい
う意の英語)ライスからきた言葉なのだとか。こ
れがまさに庶民の為の日本生まれの洋食なのだ。
ちなみに東京・日本橋の書店「丸善」の創立者、
「早矢仕」さんがありあわせの野菜と肉でつくっ
ていた得意料理だったということでハヤシライス
となったという説もあるが、あほまろにとっては
、たまに食べたくなる浅草の味でもある。