2002年1月8日 火曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D30
CANON ZOOM 17-35 F2.8
撮影枚数33枚

正月が終わって

 浅草寺境内から、お正月気分がすっかり無くな
ってしまった。今朝は本堂正面飾られていた4本
の大きな松飾りの解体が行われ、境内で出店を営
んでいた香具師の連中は宝蔵門を綺麗に磨き上げ
ている。行事が行われた後は、毎回このような清
掃活動を行っている。観音様で商売をさせて頂い
たお礼の意味を込めているのだという。散らかし
たままで帰ってしまうと、二度とお店を出させて
貰えなくなるのが怖いってのが本音だろうけどね
。次の浅草寺の行事としては、18日観音縁日、
2月2日の節分会と続いていくが、初詣のように
大勢の観光客がやってくるのは三社祭になる。 
 年末に、浅草国際劇場全盛期の松竹少女歌劇団
で一世を風靡した元女優の旭輝子さんが亡くなっ
た。旭輝子さんの略歴を新聞より抜粋する。  
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本名・杉輝子。大正13年10月30日、東京都
台東区浅草三筋町生まれ。38年、実践女学校を
中退し松竹少女歌劇学校に入る。翌年、松竹少女
歌劇団に6回生として入団。旭輝子の芸名で舞台
に立つも、47年に退団。翌年の48年、斎藤寅
次郎監督「唄まつり百万両」の芸者役で映画デビ
ュー。その後、48年に榎本健一主演の「歌うエ
ノケン捕物帖」、50年「エノケンの底抜け大放
送」、53年「恋人のいる街」に準主演するなど
活躍したが、71年「冠婚葬祭入門・新婚心得の
巻」を最後に映画から遠ざかる。舞台はエノケン
劇団に所属し活動。テレビは日本テレビ「金四郎
江戸桜」(58年)「細うで繁盛記」(70年)
などがある。93年に芸能生活55周年祝賀会を
都内で開いた。松田聖子と離婚したことで有名に
なった俳優の神田正輝さんの実母でもある。  
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 昨年11月に都内の自宅で心筋梗塞で倒れて緊
急入院し、一時は回復にむかったが、31日午後
に容体が急変した。享年77歳。浅草公会堂のス
ターの広場では、生前の活躍を偲び松の内が過ぎ
た今朝から花束が飾られた。かって華やかだった
浅草の火がまた一つ無くなってしまった。   
 旭輝子さんの記事で、面白い逸話を発見した。
彼女は幼児期から近眼で目が悪く、6歳の時医者
からウナギの肝を漬けた日本酒が目に良く、薬に
なるといわれ9歳まで毎日飲んでいたという。そ
のおかげで、酒豪になり、成人してから友人と二
人で日本酒5升あけたこともある酒豪だったそう
だ。しかし、ウナギの肝を漬けた日本酒が目に効
くって聞いたことがないのだが、そんな事を信じ
て6歳から毎晩晩酌なんてのは、さすが”浅草っ
子”だね。