羽子板美人

 暮れの十七〜十九日、浅草観音様の境内に江戸時代のままの情景が展開
される。江戸の歳の市は浅草が最も古く、万治元年(1659)両国橋が架け
られた頃。人々が豊になると、日常生活用品の他に新年を迎える正月用品
に羽子板が加わり、その華やかさが人目をひくようになった。

 図柄は日の出・七福神・松竹梅など目出度い絵に加えて、町人文化・元
禄文化を反映して「歌舞伎」の役者絵も登場する。明治時代に入り、歌舞
伎黄金時代が到来、九代目団十郎・初代左団次・五代目菊五郎などの名優
が登場押し絵や押絵羽子板が江戸工芸・職人芸として、今の姿に完成され
た。

 羽子板の羽がトンボに似ていることから、子供の病気の原因となる蚊を
トンボが食べてくれるようにとの願いを込めて、女の子のお守りとしても
飾られた。また、押絵羽子板には男物と女物があり、男物は縁起物として
不景気をハネのけると言われ、商店や飲食店にも飾られた。

 左の写真は、大正時代の羽子板市の様子だ。役者絵が描かれた押絵羽子
板は桐の箱に入れて売られていた。大正十年の値段は桐箱入りの安いもの
でも三円、桐箪笥一竿が八円の時代。羽子板を買ってもらえるのは、裕福
な子供だけだったのだろう。